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The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei

ロサンゼルス訪問とアメリカの日系人

2014年10月念願のロサンゼルスを訪れ、以前からお世話になっている全米日系人博物館を見学することができた。ここは、米国日系人に関する資料や展示物があるだけではなく、アメリカ大陸の日本人移住の資料やコラム、証言、写真、動画がある日系人最大の資料館とも言える1

全米日系人博物館の旧ビル、1942年頃この角に多くの日本人と日系二世が集合し、強制収容所に移送される。 

日本人のアメリカ移住は、明治元年(1868年)にハワイ移民(当時はまだ王国でその後合衆国に併合される)から始まり、その148人は個別契約によって明治政府の出国許可もなく渡航したのである。あまりにも過酷な労働だったので、その後日本政府の交渉によって一部は日本に戻り、多くは西海岸各地に転住した2

当時、カリフォルニア州では外国人が土地を購入することも帰化申請することも許されず、一世は土地を賃借するかアメリカ生まれの二世(子弟)の名義にするしかなかったのだが、それでも何千、何万ヘクタールという規模の土地でイチゴや米、タマネギ、アスパラガス、ジャガイモ等を栽培していた。山本剛郎(やまもとたけお)教授の研究によると、カリフォルニア州では日本人農家の野菜や果物の栽培シェアは驚くほど大きかったという。1939年の北加州では、イチゴの97%、タマネギ82%、セロリ59%、アスパラガス45%、ジャガイモ36%、青物25%、トマト21%、レタス17%、そして南加州では青物97%、カリフラワー96%、イチゴ類93%、セロリ92%、トマト83%を占め、この発展ぶりは、日系人の努力と勤勉、団結と扶助の賜物でありすばらしい功績を残していると、教授は強調している3。州内外に出荷し、日本人移住者のおかげで大量の農産物供給が可能になり、逆にそのことが非日系人の妬みを高めたことも間違いないようである。

「ライスキング(米の王様)」と知られた福島出身の国府田敬三郎(こうだ けいざぶろう)という移住者は、戦前10,000エーカー(4,000ヘクタールに相当)の土地を所有し米を栽培していたが、その出荷額は年間数百万ドルにも及んだ4。大戦中は、アマチ収容所に収容されたが、終戦後は当局の無断売却に対して損害賠償訴訟で勝訴し、その資金で大規模に米栽培を進め今もカリフォルニア米の代表銘柄の一つである「国宝ローズ(KOKUHO ROSE)」を開発した。外国人土地法の違憲申立や外国人の帰化権獲得にも尽力し、日系人のアメリカ社会での地位向上に貢献した人物である(1882年—1964年)。

街からのぞくハリウッドの看板

当初、私が描いていたロサンゼルスのイメージはテレビや映画に影響されてか、ハリウッドやビバリーヒルズ、ヒスパニック社会、リトル東京、アジア系コミュニティー、美しいビーチ等、という表面的なものだった。移民が多いということで、国際空港は厳重な警備だと思っていたのだが、メキシコのグアダラハラからにもかかわらず、あまりにもスムーズに入国した。なんせロサンゼルスには中南米往来の便数が非常に多く、アメリカ最大のヒスパニックコミュニティーの所在地である5。人口380万人のロサンゼルス市はカリフォルニア州(人口3800万人)の主要都市だが、州都は実はサクラメント市なのだ。ロサンゼルスと言ってもロサンゼルス郡を含むと人口1000万人になり、ヒスパニックの比率が約4割になるという。次回は、もう少し中南米コミュニティーの居住地区を散策したいと思っている。

今回私的な訪問だったにもかかわらず、いつもお世話になっている全米日系人博物館を表敬訪問し、館内等を見学し、職員とも会食し、市内やハリウッド、ビバリーヒルズも案内してもらった。また、同博物館付近に建立されている第二次世界大戦の欧州前線で壮絶な戦いをした日系人だけで編成された442連隊記念碑(Go For Broke Monument)にも行き、彼らに敬意を表するとともに祈りを捧げた。

博物館の奥にある第二次世界大戦で勇敢に戦い命を捧げた日系兵士の慰霊碑 Go for Broke

日本と戦争になったことで、日本人移住者だけではなくアメリカ生まれの二世の一部もそれまでの職や資産を失い、12万人が11カ所の強制収容所に送られた6。そうした不正義の中、二世たちは志願兵としてアメリカ政府に嘆願し、その結果日系人だけで構成された442連隊が編成されたのである。訓練でも好成績を残し、欧州前線ではもっとも危険な任務に従事し、高い犠牲を払いながらも兵士としては文句なしの忠誠心と勇気をみせた。アジア前線では、諜報の一環としてMISという部隊で日本語書類の翻訳、通信傍受、捕虜の尋問、潜入等を行った。沖縄上陸作戦では、自分の兄弟姉妹や親戚との戦いになった日系兵士もいるが、必死に投降を呼びかけたという。どの戦場でも、日系兵士は自分の戦果でできるだけ早く戦争を終わらせ、アメリカ本土に収容されている親兄弟を解放させ、敵性外国人という汚名返上をし、普通の生活に戻ることが最大の目的だった。状況が理不尽であっても、戦争という究極の現場で祖国への忠誠心と名誉回復を試みたのである。

ロサンゼルスへ行く前には故山崎豊子(作家)氏の「二つの祖国」や日系人部隊に関する書物を読み、DVDも観賞した。また、「二世兵士 激戦の記録—日系アメリカ人の第二次大戦(新潮社、2012年)」の著者で、ロサンゼルス在住の柳田由紀子氏を表敬訪問し、会うことができた7

ロス在住の作家、柳田由紀子さんと。

アメリカの日系人は、中南米に移住した日本人とその子孫が従事した職種や社会背景が類似している部分はあるが、第二次世界大戦を機にその運命と試練は比較にならないほど過酷だった。トルーマン大統領が、この部隊の活躍を讃えた際「君たちは敵と偏見と戦かったが、両方に勝利したのだ」と言ったが、正にその通りである。戦後も、司法と政治の場で戦いが続き、レーガン政権になってようやく正式な謝罪と賠償、そして社会的にも米陸軍最強の部隊として認知されたのである8

今年の5月1日ロサンゼルスを訪問した安倍総理は、全米日系人博物館を見学した後、日系人部隊記念碑に献花したが、日系元兵士はこの行為に感激し、感謝した。

カリフォルニア州には28万人の日系人がおり、多人種の混血を含めるとその数がほぼ40万人になるという。アメリカでもっとも日系人が多い州であるが、ここにはヒスパニックと共に他のアジア諸国出身者も多いというのが特徴である9。この多様性の中、今も多くの日系人がたくましく活躍しているが、我々南米の日系人は彼らから多くのことを学べると実感したロサンゼルス訪問だった。

注釈:

1. http://www.janm.org 
日本財団の支援によってディスカバー・ニッケイというウェブサイトを運営しているが、ここには各地の日系社会の話題や歴史、出来事、体験などが掲載されており、英語、スペイン語、ポルトガル語、日本語でも多くのコラムを閲覧できる。 

2. 日米間の移民協定は1885年に締結され、それ以来増加し19世末には約3万人になる。他方、カリフォルニアの日本人移住者も増え、1900年頃からはむしろ移民を制限するようになる。それでも、呼び寄せ制度によって1940年には大きな日系コミュニティーが形成され、ハワイには15万人超、西海岸には12万人にまで増えていた。全米には、28万人を超えていた。

3. 山本岩夫ほか、『南北アメリカの日米文化』、山本剛郎(やまもと たけお)「食文化にみる日系アメリカ人」117-118頁、人文書院、2007年。
このディスカバー・ニッケイでも多数の記事を掲載:山本 剛郎
川井龍介氏のコラムも参照できる。南加州の日系人—その1 

カリフォルニア州では、「外国人土地法」によって、外国人移住者は土地の購入は認められなかった。

4. アケミ・キクムラ・ヤノ、一世の開拓者たちーハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史1885-1924 — その11 

5. アメリカのヒスパニック人口は5000万人を超え、黒人を抜いて今は最大のマイノリティーである。64%がメキシコ出身だが、25%がカリブ諸国や中米諸国出身で、残りは南米からの移住者である。非合法滞在者は、1100万人に及び、この人口をどのように合法化または国外追放するか法案が提出されているが、議会ではなかなか折り合いがつかない状態である。カリフォルニア州だけでも、中南米出身者280万人が不法滞在であるという。ロサンゼルス市では、既に全人口の46%がヒスパニックである。

6. 全米日系人博物館サイト:日系アメリカ人強制収容所の概要 

同博物館運営のディスカバー・ニッケイというサイトには、日系人強制収容所や日系人部隊に関する記事やエッセーが英語や日本語でも多数掲載されている。 

7. 長島幸和、「柳田由紀子著『二世兵士 激戦の記録』証言で綴る第二次世界大戦」 Discover Nikkei, 2013.03

http://www.yukikoyanagida.com/

8. 犠牲心と勇敢さで非常に高い死傷率の部隊だったが、史上もっとも勲章の多い陸軍部隊である。2010年10月、オバマ大統領は一部の元兵士をホワイトハウスに迎え、一般市民に与える勲章としては最高位の議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)をすべての隊員(442連隊と100歩兵大隊、そして陸軍情報部MIIS)に授与すると発表した。

9. 在ロサンゼルス日本総領事館サイト

 

© 2015 Alberto J. Matsumoto

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About this series

Lic. Alberto Matsumoto examines the many different aspects of the Nikkei in Japan, from migration politics regarding the labor market for immigrants to acculturation with Japanese language and customs by way of primary and higher education.  He analyzes the internal experiences of Latino Nikkei in their country of origin, including their identity and personal, cultural, and social coexistence in the changing context of globalization.