Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第17回 中国残留孤児、3世はルーツへの困惑

日本と中国の国交が結ばれたのが1972年。いわゆる日中国交正常化から今年の9月で50年を迎え、国交正常化によって日本への帰国の扉が開いた「中国残留孤児」についての特集が報道されている。 中国残留孤児については、国による調査や帰国援助、また帰国後の生活支援が長年すすめられてきたが、改めて、中国残留孤児とその家族の歴史を振り返ると、日本と中国との狭間で生きてきた人たちが抱えてきたアイデンティティーの問題が浮かびあがる。そこには、アメリカや南米などの日系人の抱えた問題との類似性がみられる。 太平洋戦争が終ったとき、当時の満州(現在の中国東北部)には開拓団などとして多くの日本人が暮らしていたが、ソ連の対日参戦によって、さまざまな事情によって親と離別(死別)するなどして中国に取り残され、その後中国人に育てられた日本人孤児がいた。一般に中国残留孤児と呼ばれた人たちだ。 日中国交正常化により、こうした中国残留孤児の身元調査と日本への帰国を希望する人への支援事業がはじまり、これまで身元が明らかになった6700人余りが日本へ永住帰国した。家族を含めるとその数は2万人以上にのぼる。 幼いころに親元を離れ中国人に育てられた人たちには、親の手がかかりとなるものは少なく、また日本語を話すことはできず、身元の確認は難航することが多かった。ようやく身元が明らかになっても、すでに両親は他界してることもあ…

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第16回 移民を運んだ船の物語「船にみる日本人移民史」から

今日のように海外への渡航が飛行機によるものだった時代と異なり、かつては、島国である日本から海外へとなれば船便に頼るのが当たり前だった。北米・南米などへ移住する人たちも船で長い時間をかけてようやく異国にたどり着いた。 横浜、神戸から大型の客船に乗り込んだ人は数知れない。こうした移民を乗せた船については、横浜の港に近い日本郵船歴史博物館に行くと、当時の様子などがわかる資料があるが、移民船というテーマにしぼってまとめて紹介された書籍はあまりみあたらない。おそらく、「船にみる日本人移民史 笠戸丸からクルーズ客船へ」(山田廸生著、中公新書、1998年)くらいではないだろうか。 「日本移民学会」があるように、移民についてはさまざまな角度から研究されているが、本書の著者、山田廸生は、移民研究者ではなく、日本海事史学会という「船舶・航海・水運・水産に関する人文・技術の史的研究」を行う学会に所属する専門家である。 山田は、あとがきのなかで、移民船の歴史に取り組もうとしたところ、関係する史書のなかに、移民船についての記述が非常に少ないことに気づき、また、新天地への架け橋ともなる移民船についての関心が移民史のうえで希薄なのはなんとも解せないと感じた。 しかし、その理由について『蒼茫』を読んでわかったような気がしたという。『蒼茫』は、ブラジルへの移民を描いた石川達三が書いた小説で3部作からな…

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第15回 一世への挽歌 — 野本一平を読む

いつだったか、ロサンゼルスのリトルトーキョーで日本人の経営するジャズバーにふらりとひとりで入ったとき、常連らしき現地の日本人と話す機会があった。長年現地で暮らすその人は、旅の途中の私に現地の日本人のことをあれこれ教えてくれた中で、「いろいろ事情があって、日本にいられなくなりこちらに来た人もいますよ」と、言った。 先日、1990年に出版された野本一平著の「亜米利加日系畸人伝」(彌生書房)を読んでこの人の言葉を思い出した。バーでの話にあがった日本人からはずっと時代を遡ることになるが、同書に登場する、日本からアメリカに渡った一世の人生をたどると、「なるほどいろいろ事情があってのことだったんだ」と、しみじみ感じたからだ。 野本一平の名前は知っていたが、著作を読むのは今回が初めてだった。自然体で穏やかで、理知的な文章は、その人となりが想像できるが、彼に対する人物評を読むと果たしてその通りで、「文は人なり」を地でいっていた人のようである。 カリフォルニア在住で、現地の邦人紙「羅府新報」に寄稿していた氏は、2021年2月27日、88歳で生涯を閉じた。訃報の際の追悼の記事と本書の奥付のプロフィールから、氏の足跡を以下まとめてみる。 野本一平(本名・乗元恵三)氏は、1932(昭和7)年、岩手県前沢町(現・奥州市)の寺に生まれ、京都の龍谷大学文学部を卒業。武蔵野女子学院教諭を経て、196…

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第14回 エスニックタウン鶴見を歩く

沖縄と南米が交差する 沖縄をルーツとする日系ブラジル人など南米に関わりのある日系人のコミュニティーをはじめ、中国系、フィリピン系、ベトナム系など外国籍の人が多い横浜市の鶴見区には、沖縄、南米の薫りをただよわせる店が点在している。行政も、だれもが暮らしやすい多文化共生社会を推進している。 鶴見区は、南は東京湾に面し、沖合に埋立によって整備された大黒ふ頭も同区内に位置する。東は川崎市に接し、川崎市南部とともに沿岸一帯は京浜工業地帯の一画をなし、沿岸部に河口を開く鶴見川が区内を南北に流れる。 この鶴見区のなかで、JR京浜東北線鶴見駅から沿岸部に向かって沖縄系、南米系のレストランや食料品店が点在していることは以前から聞いていた。前回、このコラムで紹介したNPO法人ABCジャパンの理事長、安富祖美智江さんの話や、JICA横浜海外移住資料館の「海外移住資料館だより」(2021夏号)をもとに、真夏の炎天下、鶴見駅を起点にこうした街を歩いてみた。 私はこれまでJR鶴見駅の西口は何度か降りたことがあったが、東口に降りて沿岸部方面へ行くのは初めてだった。西口からは、少し歩くと曹洞宗の大本山總持寺の広大な敷地や鶴見大学歯学部があり、さらに西へ丘陵をあがると住宅街が控えている。 これに比べると東口は、商店などが立ち並ぶ昔ながらの街並みをイメージしていたが、大きなロータリーがJRと並行して走る京…

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第13回 「アイデンティティとは『居場所』のこと」、NPO法人ABCジャパン理事長・安富祖美智江さん

多文化共生のまち、横浜市鶴見区 今年4月からはじまったNHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」の主要舞台となっている横浜市鶴見区。ドラマにあるように古くから沖縄関係のコミュニティーがあるところとしていまや全国に知られるようになったが、ここには主に沖縄をルーツとする日系ブラジル人など南米に関わりのある日系人のコミュニティーもある。 加えて中国系をはじめフィリピン系、ベトナム系など外国籍の人が多く、区内の人口のおよそ20人に1人が外国籍というユニークな地域だ。区内には沖縄系のほか南米系のレストランやお店も点在し、地域住民も日本人、外国人とも文化や習慣の壁を越えて交流し、近年よく言われる「多文化共生」が実践されている。 しかし一方で日本語を母語としない住民も多く、日常生活の中でさまざまな障壁にぶつかることがある。また、その子どもたちの教育に関する課題や、個人の内面に踏み込めば、アイデンティティという問題を抱えている人もいる。 行政もいち早くこうした実態に即した住民サービスや援助をしているが、こうした問題と民間レベルで向かい合っているのがNPO法人ABCジャパンだ。鶴見区在住の日系ブラジル人が中心となり2000年に発足、06年にNPO法人となった。「日本人も外国人も同じ町に暮らすもの同士として支えあう」ことを基本に、特に外国籍住民の困りごとの解決に力を貸す事業を行っている。 沖縄…

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