Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第12回 ウクライナと日本

ウクライナから避難してきたサクスフォン奏者、五十嵐健太さんに聞く 今年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻で、多くの人が避難のため他国へと逃れた。遠く離れた日本へも断続的に避難民は到着し、その数は7月18日現在で1565人にのぼる。そのなかに、若きサクスフォン(サックス)奏者の五十嵐健太さんがいる。日本人の父親とウクライナ人の母親との間に生まれた五十嵐さんは、ウクライナの首都キーウで暮らしていたが戦禍を逃れて父の祖国である日本に避難してきた。 ウクライナではキーウ音楽院に通っていた五十嵐さんは、数々の国際コンクールで入賞、避難後の日本では東京音大に転入、器楽専攻サクソフォーン3年生として学ぶと同時に、コンサート活動などを精力的に開始した。 クラシック音楽を通じてウクライナを支援している日本ウクライナ芸術協会の代表を務めるバイオリニストの澤田智恵さんのリサイタルに招かれて横浜市緑区のみどりアートパークのステージに立ったのをはじめ、東京音大のTCMホール(東京都目黒区)で開催されたウクライナ支援のチャリティーコンサートなどに出演、クラシックの名曲はもとより、ウクライナの伝統曲や日本の唱歌「ふるさと」も披露してきた。 情感のこもった「ふるさと」の演奏には、会場の聴衆も、ウクライナの人たちの遠く離れた故郷への思慕もくみ取ったようで、涙を流す人の姿も少なくなかった。 今後日…

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第11回 「ジョン万次郎」を英語で出版—カリフォルニア在住の貿易業、尾崎賢助さん

高知県出身で、長年アメリカで貿易業などを営んできた尾崎賢助さん(83)=カリフォルニア州在住=がこのほど郷土の偉人、ジョン万次郎の生涯を追った英語の小説「The Destiny of a Castaway JOHN MANJIRO」を自費出版した。中米やアメリカでさまざまなビジネスに挑戦してきた尾崎さんに、出版の動機や反響、映画化構想などについてきいた。 * * * * * Q. なぜジョン万次郎をとり上げようと思ったのですか。 尾崎: 万次郎は、私の出身地高知県の誇る最右翼の人物で、海外に飛躍したい私の目標でした。私は、27歳の時、思い切って会社を辞めてパナマへ渡航し、その後カリブ海を中心とした貿易に従事して、何とか海外生活をまっとうしています。 Q. 英語で出版したのはなぜでしょうか。 尾崎: 万次郎の研究書は日本では数多くあります。海外ではアメリカ人の愛好者が書いたものが少数出版されていますが、当時の日本の状況を十分理解していないと感じられたので、日本人の立場で英語で書いて、アメリカだけでなく全世界に知らせたいと考えました。私費で出版しましたが、近日中にKindleから、私の書いた他3作と同時に出版される予定です。 Q. 万次郎が語る一人称の小説の形をとっていますが、それはどうしてでしょうか。 尾崎: 最初、映画の脚本の形で書いてみましたが、映画はでき…

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第10回 舞鶴と桜と日系アメリカ兵士

昨年のいつだったか書店のノンフィクションのコーナーで「舞鶴に散る桜」(細川呉港著、飛鳥新社、2020年出版)という本に目をひかれた。サブタイトルに「進駐軍と日系アメリカ情報兵の秘密」とあったからだ。 舞鶴(京都府)といえば、日本海に面した港町で、戦後中国大陸やシベリアなどから日本海をわたって日本に引き揚げてきた日本兵や民間人たちの故国日本への玄関口となった地として知られる。しかし、それが進駐軍や日系アメリカ兵とどう関係があるのだろうか。そして、舞鶴の桜とは何を指すのか。興味を書きたてられて読むと、これまで知らなかった事実に行きあたった。 巻末の著者プロフィールによれば、細川氏は、1944年広島県呉市の出身で、出版社をへてフリー。現代中国、満州、モンゴル研究は長く、歴史に生きた無名の人物を掘り起こす作業を続けている、という。 2018年3月、著者は舞鶴市内の丘に桜を植えるイベントがあることを知る。そこには、戦後すぐに舞鶴に駐屯した、元日系アメリカ兵9人がハワイから参加するという。彼らは第二次大戦中ヨーロッパ戦線の活躍で名高い第100歩兵大隊とMIS(Military Intelligence  Service)という情報部隊に所属していた軍OBと関係者だった。 なぜ、かれらは戦後舞鶴にいて、そして戦後73年たってから舞鶴に桜を植えるためにやってきたのか。本書は…

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第9回 続・ウラジオストク、日系の足跡

日本に一番近いヨーロッパ ロシアの極東の港湾都市、ウラジオストクに明治から昭和の初期にかけて形成された日本人の居留地のことについて前回(第8回)で触れたが、こうした歴史的な事実とは別に、近年ウラジオストクは、観光地としても日本から注目されていた。 改めて調べてみると、ウラジオストクの魅力を紹介するウェブ上のサイトもいくつか見つかった。そのなかでYouTube「ウラジオストクチャンネル」は、ウラジオストクの魅力を整理して伝えている。「ウラジオストクを旅する43の理由」(2019年、朝日新聞出版)などの著書がある中村正人氏が解説する。 成田空港から2時間半で行けることやシベリア鉄道の起点であることから、「日本に一番近いヨーロッパの町」であること、そして人気の理由として以下の7つのポイントをあげている。 日本海に面した港町 ヨーロッパの街並み グルメの町 夏はビーチで遊べる 郊外に広がる大自然 1年を通して豊富なイベントがある バレエとアートの町 日本海の向こうの極東ロシアの町というと、極寒というイメージもあるが、地図をみると北緯43度に位置し、北海道の小樽とほぼ同緯度であることがわかる。 7つ目の「バレエとアートの町」という点では、バレエやオペラの有名劇場があり、日本人のダンサーも所属していること、さらに、ウラジオストクが日本のバレエ会と歴史的につなが…

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第8回 ウラジオストク、日系の足跡

今年2月にはじまったロシアのウクライナ侵攻によって、日本とロシアの関係が悪化したことで、日ロの歴史にまつわる地や人々は複雑な思いをしているのではないか。このほど、北陸の海岸線を取材旅行した際にふと思った。 旅は新潟市からはじまり富山、石川、福井と海岸線を車で走った。途中能登半島も一周し突端の禄剛崎へも足を運んだ。すると「ウラジオストック772キロ」という標識がある。ずいぶんとロシアも近い。 このあと再び西へとすすみ、福井県に入ると間もなく観光名所東尋坊に達する。ここから国道305号で越前海岸を延々と南に下ると敦賀市に入る。日本原子力発電の敦賀発電所1、2号機など原子力施設で知られる敦賀市だが、実はここは戦前はヨーロッパへ繋がる日本からユーラシア大陸への玄関口だった。 30年以上前、私は敦賀と韓国の東海を結ぶフェリー計画を取材した。「原発だけに頼ってはいけない。かつて港町として栄えた敦賀をとりもどそう」といったあつい思いの市民によって計画は進められた。残念ながらそれは実現にいたらなかったのだが、この取材の過程で、多くの日本人と外国人が敦賀を経由して鉄路と海路で行き来していた事実を知った。 調べてみると、敦賀は古代から大陸との交通、交易の拠点であり、兵站基地でもあった。明治45(1912)年には東京(新橋)と敦賀の金ヶ崎駅間に「国際列車」が運行していた。東京から東海道線を西に…

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