Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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もっと日系の意見を聞いてくれればいいのにシアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 - その2

その1>>日本人からアメリカ人になっていく不思議さ ――明治時代から多くの日本人が移民として海外に出ましたが、同じ頃日本の地方から多くの人が東京などの都市に出ていきました。たまたま向かった先が国内か海外という違いが、後の世代にとっては非常に大きな違いになりますね。 モリグチ:  最初にひとつ違うのは、アメリカに来た人は、いつかお金を儲けて日本に帰ろうと思っていたのがほとんどでしょう。でも、目的地が東京だったら田舎に帰らないのでは。私の父親の富士松も当初は日本に帰る予定でした。 彼は長男だったし少しは土地も持っていたから、長いことずっとそう思っていたはずです。しかし、亡くなる1年前に孫ができました。すると驚いたことにこちらで墓を買いました。そして市民権を取って、さらに妹の娘に土地をあげたんですね。以前から考えていたんでしょうが、孫ができたのはグッドエクスキューズ(いい言い訳)だった。 ――先ほどの話に戻れば、故郷を離れた人の移住先が日本国内かアメリカかでは、その次の世代が日本人であり続けるのか、アメリカ人になっていくのかという大きな違いが生じるわけです。そういう不思議さを考えたことはありますか。  モリグチ:  確かに不思議ですね。もし私の親父が(故郷の愛媛県を出て)アメリカではなく東京に行っていたら、僕も毎年お盆なんかは四国に行ったんだろ…

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もっと日系の意見を聞いてくれればいいのにシアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 - その1

アメリカで最も成功した日系資本のスーパー、Uwajimaya(宇和島屋、シアトル)の歴史については昨日紹介した。長年にわたってその経営をリードしてきたトミオ・モリグチ(森口富雄)会長は、ビジネスのみならず日系2世として、現地の邦人紙・北米報知(The North American Post)の発行や、日系人の高齢者福祉の観点から生まれたNPO、日系コンサーンズ(Nikkei Conscerns)の運営などアメリカの日系社会でのさまざまな文化、福祉活動にも積極的に関わってきた。 日系というアイデンティティのために何をしてきたのか、また、日系アメリカ人の観点から日本のアメリカでのビジネスをどうみるかなど、シアトルで話を聞いた。 * * * ――シアトルには Seattle Keiro(シアトル敬老)と Nikkei Manor(日系マナー)という2つの日系の高齢者の施設がありますが、やはり食べ物などの点から、日系人のためのホームが必要だったのでしょうか。 モリグチ:  この老人ホームは日系コンサーンズが作ったもので、最初は1世のための1世コンサーンズでした。かつて1世がまだ健在だったころ、よく集まっては「自分たちのための老人ホームがあったらいいな」という意見がありました。 むかしの宇和島屋のお客さんを見ても分かりますが、1世のなかには独身で家族がない人も結構い…

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アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その2

その1>>顧客は日系、アジア系、非アジア系というバランス一方、品揃えについては、日系人・日本人を対象にスタートしながら徐々に日本食の広まりをとらえて変化させていった柔軟さが業績を伸ばした。 宇和島屋の顧客は、その3分の1が日本人あるいは日系人、3分の1が日系以外のアジア系、残りの3分の1が白人ほか非アジア系と見ている。このバランスが功を奏しているようだ。 「これからはべルビューにあるような店を展開していきたい。ハイクオリティーのものを売っていくようにしたい」と、新店舗展開に積極的なCEOが言うように、他店と差別化を図る戦略を今後は進めるようだ。 現在の宇和島屋のそばにモリグチ会長は、コンドミニアム(マンション)を所有しているが、そのビルには大きく「富士貞」と漢字で書かれている。また、ベルビュー店の入り口近くには、昔の宇和島屋時代の富士松と貞子の写真が大きく引き伸ばされ飾られている。ともに、両親に敬意を表してのことだ。 さつま揚げを売る個人商店から始まり、戦争を乗り切る 創業者の森口富士松は愛媛県西部の八幡浜町(現在の八幡浜市)の生まれで、1923(大正12)年に渡米。28年にワシントン州のタコマ(Tacoma)で日本の食料品を扱う小さな商店を始めた。シアトルからは南に50キロほど離れた港町だ。 さつま揚げや豆腐など自家製の食品などを、日本から移民してきた日本人、日…

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アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その1

ずらり並んだ日本酒の瓶。ここ数年の日本酒ブームでどこのスーパーの酒類売り場でもずいぶんと銘柄が増えたものだが、この店ではビンについた値札がすべてドル($)表示。といっても免税店ではない。 同じく、納豆、豆腐はもちろんのこと、どら焼きも大福などの和菓子もドル表示。そして、総菜コーナーには海苔巻きから太巻き、各種弁当も並ぶが、これらもみんな“ドル”だ。 一方、精肉コーナーに行くと大きな肉の塊が並び、氷の上にのった鮮魚は、並べ方も切り身もスケールがでかく、こちらは日本離れしているのでドルでも自然だ。 ここはアメリカ西海岸、ワシントン州の都市シアトルのスーパー、「Uwajimaya」(宇和島屋)の店内だ。メジャーリーグのマリナーズの本拠地、SAFECO FIELD(セーフコ・フィールド)の球場や、まちのシンボルともいえるキング駅の時計台も近くに見える新旧一体、少々雑多といえる地域のなかに位置する。 海外に長期滞在したり、そこで暮らすとなればなにより恋しくなるものの1つが、日本の食べ物。宇和島屋はそんな渇望を癒やしてくれる“オアシス”として、古い日系移民の町シアトルに誕生したが、いまでは日本食材を売り物にしながらも誰からも親しまれるスーパーとして現地で存在感を示している。 かつての日本町から宇和島屋ビレッジへ インターナショナ…

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70年代、日系アメリカ人が遠いヒロシマへ捧げた歌

9月、アジア系アメリカ人文学の研究者たちの集まりに出席したとき、珍しい音源を入手した。出席者の一人で、アジア系アメリカ人が1980年代に設立した音楽NPO「Asian Improv aRts/Records」(AIR)の日本通信員をつとめる神田稔さんからいただいたものだ。 ふだんあまり目にすることのない、文化の狭間にある音楽を追う彼が勧めるものだけに興味をそそられた。その音源は「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」(ヨコハマ、カリフォルニア)。この名の日系アメリカ人グループが70年代に制作したLPのコピーだった。 このLPは、今となってはかなりレアものらしく、元をただせば洋楽を中心とするインディペンデント・レコード会社「MUSIC CAMP」代表の宮田信さんが発掘し、神田さんに貸したという。宮田さんは10年ほど前にLPの存在を知り、機会をみては探し続けていた。 タイトルからして、日本とアメリカを意識しているのが分かるが、それが何なのか。LPジャケットにある彼らの写真を見ると70年代の日本のフォークやニューミュージックのアーティストといってもなんの違和感もない。後で分かったことだが、この「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」という名前は、日系アメリカ人作家、トシオ・モリが著した同名の小説に由来していた。 興味津々でコピーされたCDを聴いてみると、あの時代…

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