Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立-その1

アメリカ南東部のフロリダ州に、日本文化を紹介するモリカミ・ミュージアムと日本庭園があることと、そこで春に行われた大きなフェスティバルの模様を前回紹介した。 日本とはあまり縁のないような場所にある「モリカミ」の名称は、森上助次という人物から由来する。いまから100年以上前にフロリダに農業移民として入植した日本人の一人である森上氏は、生前に所有する土地を地元のパームビーチ郡に寄贈し、それがもとでこのミュージアムと庭園ができあがった。また、これが縁で同郡内にあるデルレイ・ビーチという町と、彼の故郷である京都府宮津市は、姉妹都市関係を結び交流を続けている。今年も6月半ば、デルレイの高校生が数日ではあるが、宮津でホームステイをしながら地元、府立宮津高校で学んだ。 日本三景として有名な天橋立がある、日本海沿いの宮津と大西洋岸に位置する亜熱帯のデルレイ・ビーチ。この二つを結びつけた森上氏は、なぜ20世紀のはじめに、はるばるフロリダへわたったのだろうか。そして二度と日本の土を踏むこともなかった一方で、フロリダにその名前を残すことになったのか。その背景には、彼だけではない、宮津から集団で移住し、フロリダで成功を夢見た人たちの物語があった。 「ヤマトコロニー」をつくった二人の日本人 移住の足跡については、「モリカミ」の資料やアメリカへの日本人の移住について地方別にまとめた『米国日系人百年…

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世界のなかの日本と世界

フロリダの日本庭園とコスプレ-その3

その2>>庭園のなかをコスプレのティーンエイジャーたちが・・・敷地内には黒い瓦屋根の本館と最初にできた平屋の建物がある。本館には、木版や着物、陶器など日本の美術品が展示されているほか、茶室が設えられている。ユニークなのは、畳の間で茶の湯を行っているときに、お茶を点てるその模様を鑑賞できるようにと、開放された部屋の外に階段状の客席がつくられているところだ。 本館内には225人を収容できるシアターもあるし、カフェではお寿司をはじめ日本食が楽しめる。日本の工芸品や贈答品などが販売されるショップも、この場所にしてはなかなか充実している。 この建物とは別に、庭園の中程にある平屋の建物では二つの常設の展示がある。一つは「子供たちの目を通した日本」と題した、日本のいまの社会を知るためのもので、小学校の教室の様子や一般家庭のダイニングキッチンなどを紹介している。 もう一つは、ヤマト・コロニーの歴史が古い写真や新聞記事などとともに理解できるようになっているものだ。 午前中のうちに庭園内は来客がひっきりなしに行き交うほどになった。そのなかでとりわけ目を引いたのが、なにやら派手なコスチュームに身を包んだティーンエイジャーたちだった。その数は時間とともにどんどん増えてくる。 いったい何だろうと思っていると、この日のイベントの一つとして開かれる「コスプレ・コンテスト」に登場する若者たちだ…

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世界のなかの日本と世界

フロリダの日本庭園とコスプレ-その2

その1>>入植当時のフロリダに思いを馳せながらその日は金曜日ということもあって、空港内のレンタカー・カウンターは長蛇の列。待つことおよそ1時間余、ようやく三菱のセダンで空港を出たのは午後3時半を過ぎていた。この時期のフロリダにしては、それほど暑くはなくさわやかな陽射しがふり注いでいる。 デルレイ・ビーチまではすぐにハイウェイ95号にのって北上した方が時間はかからないのだが、リゾート地として名だたるフォート・ローダーデールのまちを見ようと、まずは海岸沿いを走るA1Aという道に出て、道路の両側につづく南国情緒を醸し出すパームツリーの間を走る車の列に加わった。右には砂浜と薄い青緑の海が見え、左にはホテルやレストランが建ち並ぶ。どちらにも人があふれていた。 この時期は学生にとってはスプリング・ブレイク(春休み)で、各地から学生たちがフロリダを目指してやってきて騒ぎ、楽しむのは長年の慣習になっていた。なかでもデイトナ・ビーチやフォート・ローダーデールはそのメッカだった。 そうした学生たちも大勢いるのだろう、人通りでにぎわう繁華街を抜けてしばらくすると、海岸線とほぼ並行してゆったりと川が左手に流れている。川沿いには瀟洒な家々が建ち並び、それぞれが桟橋を突き出し、ボートやクルーザーを係留している。なんとも優雅なアメリカらしいリゾートの景色だ。 そろそろデルレイ・ビーチに近づくので、…

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世界のなかの日本と世界

フロリダの日本庭園とコスプレ-その1

アメリカのフロリダ州と聞いてなにを想像するだろうか。暖かい気候に包まれたビーチリゾートか。それともときどき訪れるハリケーンか。いや、最近ならニュースにもよく登場したケネディー宇宙センターかもしれない。最南端にあるキーウェストと文豪ヘミングウェイを思い浮かべる人もなかにはいるだろう。 そのキーウェストからさらに南のキューバまではわずか90マイル(145キロ)。東は大西洋、西はメキシコ湾に面した半島の形をした州は、同じアメリカの諸州のなかで日本からはもっとも遠く感じる。かつて移民としてアメリカに渡った日本人もほとんどが西海岸に集中しており、それに比べれば東部にはその足跡は少ない。 まして、南のフロリダにはそんなものはないだろう、多少アメリカに詳しい人や移民を研究している人でもそう思かもしれない。しかし、実はこの半島南部にかつて小さな日本移民のコロニーがあり、それがもとになっていまでは立派な日本庭園とミュージアムがあるのだ。 フロリダにヤマト・ロード? いまから24年前、私はフロリダの大西洋岸中部に位置するデイトナ・ビーチというまちで1年間暮らしていた。あるとき半島を南北に走るハイウェイ95号をマイアミまでドライブして南下した。マイアミまであと70キロくらいになったとき、ハイウェイと交差する道路の名前を示す標識に「Yamato Rd」と読めるサインを見た。 「ヤマト・…

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戦争によって、二つの祖国で彷徨う魂~ノー・ノー・ボーイを探した先にみえるもの-その3

>>その2フィクションに事実から光をあてる監督でありプロデューサーでもあるフランク・アベは、51年生まれの日系三世。両親は帰米二世で福岡県での生活経験もあり、その意味では日本とのつながり は強い。父親は10代のころ収容所にいた経験をもつ。アベ自身は、現在は地元キング・カウンティー郡政府のコミュニケーション・ディレクターをしている。 彼が最初にこの小説と出会ったのは73年で、その後CARPのメンバーと出会い、この小説と深く関わるようになり、しばらくしてシアトルに移った。 「ノー・ノー・ボーイ」と呼ばれた人々をはじめ二世の気持ちを理解したかったという彼は、2000年には戦時中に徴兵を拒否した日系人を取り上げた 「Conscience and Constitution」というドキュメンタリー映画を完成させた。 今回の作品では「ノー・ノー・ボーイ」というフィクションに描かれた世界とジョン・オカダを追うことで、日系人のアイデンティティに迫った。その方が真正 面からドキュメンタリーとして、「ノー・ノー・ボーイ」と日系人をとらえるよりも効果的だと判断したからだろう。事実、この小説にはよく見れば、さまざま な境遇や立場にある人間が登場し、多くの根本的な苦悩や疑問が詰め込まれている。 6月に映画が図書館で公開されてから数日後、シアトル市内のコーヒーショップでアベと会うことができた。そこはダウ…

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