Stuff contributed by hmiya

Nikkei Chronicles #2—Nikkei+: Stories of Mixed Language, Traditions, Generations & Race
キムチとカブとニンニク
Hidemitsu Miyamura
東北レシーフェに用事ができたので飛行機の便を予約した。サンパウロへ帰る前、ブラジリアに寄る事にした。そこには昔からの知り合いがいるので、サンパウロから何か珍しいものをおみやげに持って行くことにした。その友人がサンパウロへいた頃、私たちはよく日系人が経営するゴルフの練習所へ行き、キムチをつまみにビールを飲みながら汗を流していたのを思い出し、近くの韓国食料品にあるキムチとカブの赤唐辛子漬けとニンニクを持っていくことにした。

限りなく遠かった出会い
お風呂と味噌汁
Hidemitsu Miyamura
私は子供の頃、よく白人に「Ei! Japones」と呼ばれた。こう呼ばれると、何となく白人から「見下され」、「別物扱い」されている様に感じた。

限りなく遠かった出会い
法要とお墓参り
Hidemitsu Miyamura
ブラジルの主な日本人家庭では、身内の誰かが亡くなると、先祖代々信仰してきた宗教に応じて葬儀を行う。仏教徒の場合、初七日、四十九日、一回忌、三回忌、七回忌、十三回忌と法事を行う事が普通である。西本願寺、東本願寺、浄土真宗、真言宗等、宗派によってお寺を良く確認して行かぬと戸惑う事がしばしばある。

限りなく遠かった出会い
古いフィルム(2) ドウラードス植民地事業
Hidemitsu Miyamura
この古いフィルムには、前回記載したシーン以外に、私の一家と深い関わりのある映像が含まれている。それは父が一生を賭けたドウラードス植民地事業に関してである。今でも私の手元にこの古い映像が残っていることに、私は不思議な因縁を感じずにはおれない。

限りなく遠かった出会い
古いフィルム(1) 歴史的政治転換期
Hidemitsu Miyamura
あるきっかけから61年前の古いフィルムが私の手元に届いた。父が亡くなる前に古物を預けていた友人から、父が他界して数年後、私に届けられたものであった。

限りなく遠かった出会い
父の日記(2) 横山家の思い出
Hidemitsu Miyamura
81歳で他界した父は、神戸港を1933年2月に出航したありぞな丸で、移民として19歳の時、一人で来伯した。その父の古い日記帳をめくっていたら「船中思い出」と言う題で、1940年11月23日に書かれたページに目が止まった。従ってこの日記は、父が来伯後7年目に書いたものだった。以下はその日記帳から抜粋した内容である。

限りなく遠かった出会い
父の日記(1) あの時、私は…
Hidemitsu Miyamura
その当時、父はサントスで歯の技工士の仕事をしていた。28歳で独身の身であった。後に、ある白人歯医者の名義を借りて正規ではなかったが、歯医者として開業をした。その頃の苦しい生活や失敗談、お世話になった方達のこと、サントスでの楽しい独身生活、華やかなカシーノでの遊びなどが、古い日記に書かれてある。開戦の6ヶ月前、父は神保と言う知人の紹介で、後に私の母となる敏子と知り合った。日記には、真珠湾の襲撃をはさんで、母との恋愛中の甘い想いなどが書かれてある。

限りなく遠かった出会い
おタネはん
Hidemitsu Miyamura
私が初めてPIZZA を食べた時、こんなに美味いものがこの世にあるのかと思った。住んでいた北パラナーではその縁が無かった。田舎者で7歳の子供であった私が、初めてサンパウロに来た時「PIZZA は珍しいだろう」といって、父母が古くから世話になっていた「おタネさん」が取り寄せてくれたのであった。