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「JRパス騒動」に対する、ブラジル日系人社会の反応
Takamichi "Taka" Go
海外に移住した日本人、つまり、一世の人々にとって、移住後の日本訪問には、特別な意味があります。日本に住む親族や友人に近況を報告したり、旧交を温めるだけでなく、みずからの人生における日本との「つながり」を再確認するための一種の「儀式」でもあります。それは、日本の親類や友人にとっても、海を越えた人間関係を振り返るための、非常に良い機会です。

柔道見学団―日系アメリカ人と日本人の「つながり」を振り返る
Takamichi "Taka" Go
アメリカの日系人社会ではその黎明期より、柔道は重要な文化的活動のひとつでした。1930年代、世界恐慌下であるにもかかわらず、各地で柔道を通した国際親善に取り組む日系人団体がありました。南加(南カリフォルニア)においては、南加講道館柔道有段者会が中心となって、優秀な成績を収めた二世の若者たちを、柔道見学団として日本に派遣することになりました。このとき、代表に選ばれた二世のなかに、オレンジ郡で不動産業を営み、当地の日系人社会の歴史を調査したことで知られる、西津クラーレンス巌(Clarence Iwao Nishizu)さんがいました。

日本を去った若者たち―21世紀における日本人の海外移住事情
Takamichi "Taka" Go
日本政府主導による日本人の海外移住は1973年の春、最後の移民船、ブラジルを目指したにっぽん丸が横浜を出港して以来、その波が途絶えたとされますが、その後も、留学や国際結婚、就業などを理由に、海外に移住する人々が続いています。その数は、1年あたり十数万人とされます。

長崎源之助が描いた日系人―『ボク、ただいまレンタル中』を読む
Takamichi "Taka" Go
日本の児童文学においても、日系人の存在を見つけることができます。わたし自身、かなり前からこの作品のことを知っていましたが、長い間、この作品を強く意識することはありませんでした。しかしながら、数年前に日本社会における韓国系の人々の結婚事情に関する研究を知る機会を得たときに、ふとこの作品を思いだしました。

ある初老の一世の物語
Takamichi "Taka" Go
派米農業労務者事業(カリフォルニア農業研修生)をとおして加州(カリフォルニア)にやってきた鹿児島県出身のYさんは、州南部はアリゾナ州境に近いインディオ(Indio)にある、アルメニア系が経営するブドウ園において、同郷の数十名の仲間たちとともに炎天下のなか一生懸命働いていました。1

ジャズの調べとともに―ジャズ・ミュージシャン、井原リチャードさん
Takamichi "Taka" Go
南加(南カリフォルニア)はブレア市内のレストラン、シーダー・クリーク・イン(Cedar Creek Inn Restaurant)では、金曜日の夜から週末にかけて、レストラン内のバーで、ジャズの生演奏を聴きながら、お酒や食事を楽しむことができます。このレストランでは、地元南加を活動の拠点とする魅力的なジャズ・ミュージシャンたちが、かわるがわる演奏をおこなうので、地元の人々の人気スポットのひとつとなっています。

伴正一さんと戦後の日本政府の移住政策について
Takamichi "Taka" Go
伴正一という名前を聞いてピンときた人は、日本と中国大陸の関係に詳しい人なのかもしれません。伴さんは、1977年から1980年まで中国公使を務め、中国大陸との密接な関係の基礎を築いた外交官のひとりとして知られています。
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End of Year Luncheon
community history
![]() California Agricultural Trainee (カリフォルニア農業研修生) (Supplemental Japanese Agricultural Workers Program, 1956-1965) End of Year Luncheon @ Shin-Yokohama Prince Hotel December 11, 2014 (11AM to 2PM) (https://www.facebook.com/jalivinglegacy) Supplemental Japanese Agricultural Workers Program … |