Keiko Fukuda

Keiko Fukuda: Oriunda de la prefectura de Oita, egresada de la Universidad Internacional Cristina. Trabajó para una editorial de revista informativa en Tokio. En 1992 viajó a los Estados Unidos y trabajó como jefe de edición en una revista dedicada a la comunidad japonesa durante 11 años. Es freelance desde 2003 y actualmente escribe artículos para revistas focalizándose en entrevistas a personalidades. Publicó junto a otros escritores “Nihon ni Umarete” (nacido en Japón), Editorial Hankyu Communications. Sitio web: https://angeleno.net

Última actualización Julio de 2020

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子どもをサーファーにするため渡米 ― 五十嵐ツトムさんとミサさん

移住によって子どもに「生まれる土地」をプレゼント 五十嵐カノアさんと言えば、2021年の東京オリンピックで、日本代表として銀メダルを獲得し、その後も世界各地の大会で快進撃を続けるトップサーファーだ。さらにカノアさんの弟のキアヌさんも同じくサーフィン選手として活躍している。五十嵐兄弟の地元はサーフィンのメッカでもあるカリフォルニア州ハンティントンビーチ。彼らの両親は、新一世として日本からアメリカに移住してきたツトムさんとミサさんだ。 移住の理由を聞くと、ミサさんは「英語がすごく好きで、自分自身、オーストラリアへの留学経験もあるのですが、どう頑張ってもネイティブのようには話せません。それで、子どもをアメリカで産んで、最低でも英語と日本語を話せる人に育てたいと思いました。子ども自身はどこで生まれて育つか選択できません。だから(生まれる土地を選ぶことが)、親として子どもに与えられるギフトだと思って渡米しました。そして、私たちがサーファーなので、生まれる前から、子どもにはできれば一流のサーファーになってほしいと願っていました」と、淀みなく答えた。 「子ども自身は生まれる土地を選べない」というミサさんの言葉を改めて聞くと確かにその通りだと思いながら、子どもにとってどこが理想の土地なのかを考えて移住するところまでは、普通なら考えが及ばない。 五十嵐夫妻は「子どもを最低でもバイリンガルに…

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Grammy-Nominated Musician Masa Takumi and His Move to the U.S. in 2018

          * * * * * Album SAKURA, nominated by the 65th Grammy Awards in the Global Music Album category   Official site: https://www.masa.world  

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アメリカの日本語媒体

第11回 世代をつなぐ日本語テレビ 『Japan Hollywood Network』

視聴者の最大母数は85万人 30年前に日本からロサンゼルスに移り住んだ時、新しい習慣が生まれた。それは日曜の夜、現地で放送されている日本のテレビドラマを見ることだ。ロサンゼルスに来るまでは出版社で忙しい日々を送っていたので、テレビドラマを見ることなどほとんどなかったし、何より日本のドラマよりハリウッド映画を見る方がずっと楽しかった。しかし、いざ日本を離れるとそれまで見たこともなかった『渡る世間は鬼ばかり』といったドラマを楽しみに日曜を迎えるようになった。それは自分でも驚くほどの劇的変化だった。しかも日本語の台詞はそのままで英語字幕まで付いている。「この日本語はこう訳すのか」と勉強になったりもした。 私の記憶では、日本のドラマはUTBという放送局が日曜の夕方6時半から、そしてまた別のAHC(アサヒホームキャスト)という局が夜の9時から放送していた。さらにUTBは平日の朝、地元のローカルニュースをワイドショー形式で放送していたこともあり、「ロサンゼルスの日系社会に密着したメディア」という印象が強かった。 現在、UTBはすでになく、同社社長だった寺坂重人さんが2018年に、UTBの業務を引き継ぐ形で新しく立ち上げたJapan Hollywood Networkが、毎週日曜の夕方からローカルニュース、日本のバラエティーとドラマを放送している。地上波デジタル放送で視聴できるほか、ケー…

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被爆者である母の経験を小説に — キャサリン・バーキンショーさん

娘の病気と母の告白 「ラスト・チェリー・ブロッサム」という小説がある。戦時下の広島を舞台に、多感な少女ゆりこと優しい父、ゆりこが距離を感じる同居の叔母が主要な登場人物となる物語だ。小説の後半では、広島の街を焼土に変えた8月6日、さらにその後の彼らの運命が描かれる。原爆に至るまでの前半は戦時中の日本人の質素だけれど丁寧な暮らしぶりが細かい筆致で描かれている。私の頭の中では、ゆりこの家族のそれぞれの生き生きとした人物像と彼らの感情の機微、日々のやりとりが映像として展開した。それはまるで私が好きな小津安二郎の映画を見ているようだった。しかし、そこで、あの残酷な原爆の日が訪れる。それまでの家族で共に過ごした、ささやかな幸せで穏やかな日常が一瞬で壊され、彼らは深い悲しみと肉体的な苦しみを背負わされることになるのだ。 この小説を書いたのが、キャサリン・バーキンショーという名前のアメリカ人女性と聞いて驚いた。どうやって戦時中の広島の様子をここまで鮮やかに再現できたのだろうか?彼女の母親、広島出身のとしこさんが主人公ゆりこのモデルということが、その答えだ。 私は、東海岸在住のキャサリンさんにオンラインで取材させてもらうという機会を得て、小説完成までの経緯とアメリカ人を父に日本人を母に持つ、日系2世としての彼女のアイデンティーについて聞いた。彼女の両親は1959年に日本で出会い、結婚し、…

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Choices for Japanese People Living in America

アメリカ市民として日本で生活する大内二三夫さん

米生活50年で再び日本へ 25歳でアメリカに渡った大内二三夫さんは、フロリダ大学の大学院で博士号取得後に化学会社のデュポンに入社。その後、ワシントン大学で長年教鞭を執った物質材料工学の専門家だ。2022年6月に材料工学科教授の職を最後に、同学を退職した大内さんが、次に住む場所として選んだのが長野県松本市だった。 「アメリカでは50年近く暮らし、楽しい思いもしたし、達成感も得られました。私は25年を一つの単位としてとらえています。最初の25年は日本で生活し、次の50年はアメリカ、さて次の25年をどうしようと考えた時に再び日本で暮らしてみたいと思いました。そして、できれば全く違ったことをやってみたいという思いに駆られ、バイオリンの製作を始めることにしました。 この決断に至ったのはコロナ禍が大きく関係しています。人との交流が絶たれていた間に、自分で再び新しい挑戦がしたいと考えました。私の家族には音楽家が多く、その中で私一人がサイエンティストなのです。ワイフと娘はピアニストで、娘の旦那も作曲家・バイオリニストで、孫はバイオリンをやっています。それで、私は孫娘のためにいつかバイオリンを作ってあげたいと思ったのです。バイオリン作りの経験は全くありません(笑)」。 日本に移住し、新しくバイオリン作りを退職後の人生を捧げたいと妻のすみよさんに言うと、「それでは(日本に)行きましょう」とす…

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