徴兵忌避者の投獄 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 63名が公判を受け有罪宣告を受けた後、我々は上告した3人とコンタクトを取りました。上告してから2、3ヶ月程して判決が言い渡されましたが、有罪判決が覆ることはありませんでした。その時判事は、合衆国政府もまた過ちを犯しているということをほのめかす発言をしたのです。判事は、「誤りに誤りを重ねても正しくならない。」と言ったのですが、それは政府にもまた過失があったことを暗示していたのです。そして彼らはさらに上告したのですが、最高裁はそれを棄却しました。 彼らの上訴請求はその時点で行き詰まった訳です。

しかし、1947年にトルーマン大統領は、日系徴兵拒否者の市民権や参政権の全てを回復させ、全員を赦免にしました。とにかく徴兵拒否者たちの受刑態度が模範的だったという理由で、収容期間が短縮されたことを除けば、彼らは27、8ヶ月の全刑期を投獄されたことになります。本来であれば、刑期の3分の1に当たる日数の後、仮釈放されることになっているのですが、当時の戦時転住局(戦時中の日系アメリカ人強制退去・収容に携わった政府機関)のビル・メイヤーズ氏は、彼らを仮釈放させないよう刑務局に請願したのです。メイヤーズ氏は、徴兵拒否者が仮釈放されることで、強制収容所内での志気が下がることを恐れたのです。このことがあって徴兵拒否者は、模範囚として減刑された期間以外は、全刑期を刑務所の中で過ごしたのです。有罪宣告を言い渡された63名のうち、33名の若者がマクニール刑務所へ、年配者はカンザス州のレヴンワース連邦刑務所へ送られました。

日付: 2006年5月9日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: リサ・イタガキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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