(英語)第1800大隊に属していた頃、僕らがどのようにここに行き着いたか等、互いのいきさつを尋ねることはありませんでした。誰がそこに居て、何故そこに居るか知ったのは戦後でした。例えば、フォート・マクラレンやフォート・ライリーといった基地では、多くの日系二世兵士が隔離されていました。 ルーズベルト大統領がフォート・ライリーを訪れた時、二世兵士全員が格納庫に入れられるということがあったそうです。ホリ氏は、当時の様子をスケッチで残していました。僕は、彼のインタビュー記事を読みましたが、証言によると、格納庫の中まで行進する間、外からマシンガンや戦車が見えたそうです。格納庫の中に入ると、武器を身につけた幹部たちは、彼らを端に座らせ、真っ直ぐ前を見て言葉を発しないよう命じたそうです。手洗い休憩に行きたい者のみ手を上げるように、ということでした。
ホリ氏によると、アイダホの農家出身の若い二世たちにとって、それは初めて受ける差別で、彼らはただ涙を流していたそうです。そして、帰米たちは激怒していました。4時間後、ルーズベルト大統領が去った後、日系人兵士たちは元の場所に戻りましたが、皆静まりかえり、ほとんど誰も口をきかなかったそうです。 その後、フォート・マクラレン基地に移動される前ですが、帰米たちは、「俺はどうするか決めた。奴らは俺たちを日本人として扱う。それなら日本人になってやろうじゃないか。こんな国どうにでもなれ。俺はこんな国のためには絶対に戦わない」と宣言しました。その後、彼らはフォート・マクラレン基地へと移動となり、第442連隊戦闘団への入隊のための訓練を受けることになりましたが、大勢が反抗しました。その後の扱いについて、彼らには選択肢がありましたが、強く反対した者は裁判にかけられ、投獄されました。
日付: 2005年3月25日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ソージン・キム
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター