(英語) ええ、完全に馴染んでいますよ。僕は、地元ハワイの学校に通い、東部のジョージタウン大学に進学しました。僕の家族は大学とのコネクションがあり、母の兄弟や家族にはジョージタウン大出身者がたくさんいました。僕が入学した時も、既に従兄弟が7人も通っていました。家族との強いつながりがあったので、僕もジョージタウンに行くことにしました。東海岸のビジネススクールの中でトップレベルの大学でもあったし、この大学の商学部を目指すことを決めたのです。しかもジョージタウンの文系プログラムも非常に優れていて、僕もその恩恵に預かることができました。僕が東海岸のワシントンDCで生活することになった経緯は、このようなことでした。
僕は、1年早く大学を卒業し、「もう1つ学位をとるか、議会で働けないだろうか。」と考えました。僕は父に電話し、イノウエ議員と面接できないか聞いてみました。面接こそできませんでしたが、井上議員の側近のオフィスで働くことになりました。そこで働く間、どのように法案が法律として制定されるのか、法律がどのように扱われ、弁護士が法律をどう利用するのか、といったことを理解することの重要性を目の当たりにしまた。そして僕は、自分が携わっている不動産ビジネスの観点から、法律の知識は役立つだろうと考えました。法科大学院に願書を送り、たくさんの合格通知が届きましたが、僕は住み慣れたジョージタウンに残ることを決めました。
日付: 2006年6月1日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター