(英語)アジア系の人には、特に大変なんですよ。医者、弁護士、会計士などの仕事に就く人が多いですからね。実のところ、私も父からプレッシャーをかけられ、「コンピュータの方に進むか、ビジネスの学位をとりなさい」と言われていました。でも私は、どうしても絵の道に進みたかったので、仕事を辞め、フリーランスのイラストレーター1本でやっていくことにしました。ハワイからロサンゼルスへ引っ越したばかりの頃は誰も知り合いがいませんでしたから、一軒一軒回り、電話営業をし、取れる仕事は何でもしました。Tシャツデザインから本や雑誌、新聞のイラストも手掛けました。 『兎用心棒』を描くようになってからは、この作品にのみ没頭できるようになりました。初めてハワイでサイン会をした時、父は私に会いたかったそうですが、実際に来てみると人だかりで店の中に入れなかったそうです。その時父は、「スタンもまあまあよくやってるな」と思ったそうです。その時、父は私を認めてくれたのだと思いますよ。
日付: 2010年9月28日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: レン・ヤマサキ、マリア・クワン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター