強制収容、国外追放、弁護士 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)私たち一家は、最初にサンタアニタ競馬場跡地で何ヶ月も生活し、その後、次の移送先であるアーカンソー州ローワーで4年過ごしました。収容所から解放された後は、父の輸入業が廃業していたという理由で、両親は国外追放の標的となりました。当時、既に4人の子を持つ親となっていた両親は、国外退去命令に異議申し立てをするため、サンフランシスコへ行きました。幸運にも、市民権専門の弁護士が両親に代わり抗議し、国外退去命令を覆すことに成功しました。この出来事は、まだ小さい子供だった私に弁護士には戦う術があり、現状を変える力があるということを教えてくれました。

日付: 2013年7月17日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ショーン・ハマモト
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

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