仕事を探していた時に感じた差別 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)1年間短大に通いましたが、本当に楽しい経験でした。その後カリフォルニア大学バークレー校に合格しましたが、両親に言われたのです。「大学に行っても未来が明るくなるわけじゃないのはわかるよな」日系人は大学を出たとしても医者か歯科医になって日系コミュニティの中で働く以外に道はありませんでした。公務員になることさえも難しかったのです。

私は車の修理がとても得意で運転も好きだったので、「自動車整備の学校に行ったらどうだ?」と言われました。それで私は整備工になるための勉強をしました。しかしこの仕事に就くにも日系への差別を感じました。日系人は労働組合に加入できなかったのです。そうなると日系人のガソリンスタンドや修理工場で働くことしかできません。結局そうしましたが、正直に言って面白い仕事ではなかったですね。いつかガソリンスタンドや修理工場か何かを経営することになっていたかもしれませんが、将来性があるようには思えませんでした。ですから1940年に徴兵された時は、「やった!」と思ったのです。(笑)

日付: 2015年1月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: リリー・アン・Y・ウェルティ・タマイ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

442nd education mechanics prejudice veteran World War II

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団