(英語)私は働いていなかったので、つるはしとシャベルを渡されました。義兄と一緒でしたが、その時はまだ、将来彼が僕の義理の兄になることを知りませんでした。私たちは一緒に働きました。バラックを増設するため、現場に行き土地の整備をしました。ヤマヨモギを切ったりするような作業でした。
その作業は短期間で終わり、別の任務が与えられました。外から入ってくるトラックの積み荷を降ろす仕事です。荷物は全て紙に包まれていました。誰かがわざと破いて開けたのかどうかは分かりませんが、とにかく荷物が一つ落ちてきました。(手を少し広げて)このくらいの大きさの筒状のいろんな色の麻布でした。何に使われるのかは分かりませんでした。
その後、収容所の外に迷彩ネットを作る工場が建てられたことを知りました。フェンスを抜けて歩いていくと、すぐそこに工場はありました。バラック小屋の屋根を高くしただけの、背の高い建物でした。迷彩ネットを上から掛けるために、高さが必要だったのです。女性陣がいろんな色の麻布を編み、私の役目は麻布を彼女達に届けることでした。麻布は、4、5フィート程に細長く切らなければなりませんでした。
日付: 2015年2月6日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター