(英語)ビジネスマンで経営スキルを備えていた祖父は、戦時中の収容所でも重宝されました。彼らはこれから収容された全ての人たちが元の場所に戻り、新たに仕事を見つけるときのことなどを考えて計画し始めていました。祖父はリトル・ロック、もしくは収容所で、彼らの経営陣に加わった唯一の日系アメリカ人でした。祖父は経営陣として、日系人を配属先を見つけることを任されました。しかし、日系人を雇おうとする人は誰もおらず、ましてや、住む場所を提供したり、部屋の貸し出しをする人もいなかったので、それは実に報われない仕事でした。しかし、最終的には素晴らしい結果が待っていました。祖父は、ホノルルで彼のビジネスを引き継いでくれていた人たちから助けを受けました。また、戦時中、祖父はA.P. ジアニーニから冷蔵庫、アイスボックスなどを収容所に送ってもらいました。
I*: 収容所にですか?
収容所に送ってもらったのです。
*「I」はインタビューワー(ジョン・エサキ)
日付: 2018年4月25日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター