大変だったプランテーションでの仕事

日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節) 日本が恋しくて泣いた日々 大変だったプランテーションでの仕事 一日中子供を預けて仕事 真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

あの時はまだまだね、私ら来た時は、10 Hour 仕事してね、55 cent 1 Day でした。55 cent 1 Day でした。外の仕事、きれいだったけど、草きったりね、木々に水かけたり、花輪ゆったりね、あんな仕事ずっとしたんです。朝の6時から夕方の4時半まで仕事だからね、10時間。カウカウタイム(ランチタイム)が30分で。

毎日汗をびっしょりなってからね。そしてもう帰るときはその着物着てこられないの。帰ってからチェンジしてからね、違う着物着てこなかったら風邪ひいてしまうから、あんなしてきました。あの頃は、あんなに思いましたがね、今はあのおかげでこんなに楽して暮らさせてまらうから、今はもう感謝しておりますよ。

日付: 1991年6・7月
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ロバート・ナカムラ、カレン・イシズカ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

hawaii immigrants issei plantation

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