知事選出馬を決意 (英語)

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書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 白人以外の弁護士もハワイの弁護士会には多く所属していましたが、規模の大きい弁護士事務所に籍を置く人は居ませんでした。そういった大規模の弁護士事務所がほとんどの仕事を扱っていたのですが、それらはみな白人が経営する事務所で、白人ではない私たちが所属するのはきわめて困難なことでした。ですからほとんどの白人以外の弁護士は個人開業をしたり、同じように個人で仕事をしている人と一緒に働いていました。私が弁護士として働き始めると、ハワイで仕事をすることが、人によってはいかに困難なことかわかってきました。そしてそのことが大変気がかりになりました。

私とジャック・バーンズ氏との出会いは、私の友人を介してのことでした。バーンズ氏は、私が子供だった頃何を感じていたか、そして司法に携わる今何を感じているか、たくさんの質問を投げかけてきました。私は、多様なバックグラウンドを持つ男の子や女の子たちと一緒に育ち、働き学び、喧嘩したり遊んだりしたことを話しました。その中で、私が偏見や不公平を感じたことはありませんでした。でも仕事を始めると、ハワイ社会の仕組みの中では、周囲にどういう知り合いがいるかということに左右され、あるレベルまで達するとそれ以上は上を目指すことができないと感じるようになりました。 ジャック・バーンズ氏が、「(ハワイ議会の)議員選に出なさい」と言ったんです。私は、彼が誰か他の人に言っているのかと思って後ろを振り返りましたが、バーンズ氏は、「いやいや、君だよ。君が議員選に出るんだ」と言ったのです。それに対して私は、自分は若すぎるし、誰も自分のことを知らないと言いました。バーンズ氏は、「そんなことは重要じゃない。重要なのは君の心だ。君がどう感じているかなんだ。今年君が立候補すれば、それに続く候補者が今後たくさん現れるだろう」と言ってくれました。

彼が私にそんな話をしてくれた日から立候補の届け出期日まで、3日しかありませんでした。しかも選挙当日までは33日間しかなかったのです。現在ハワイ州に35から36ある選挙区も、当時は2つしかなく、私が出馬したのは、オアフ島の85パーセントに渡る選挙区でした。私が出馬を決意したのは、友人と連れ立ってアラモアナ公園に行った時でした。私たちは立候補について話し合いましたが、それでも私はまだ届け出を提出しかねていました。結局私は期日ぎりぎりまで待ちました。結局立候補を決めてから選挙当日まで、30日間しかありませんでした。

日付: 2003年12月15日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アート・ハンセン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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