米国での最初の仕事

渡米 米国での最初の仕事 ビジネスでの苦い経験 日本と米国 東京の会社が焼失 結婚相手を紹介 2匹の競走馬 バイオリンを購入

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

最初、サンペドロへ行って、カンネリー(缶工場)で働いた。サンペドロのカンネリー。それから、ボートへ乗って、いわし獲りからマグロ獲り。29までやった。29歳までやった。8000ドル・・・8000円、日本でいう、儲かって、日本へ帰って。日本へ帰ったら、もう、あの・・・あの・・・うちはね、グロッサリー(食料雑貨店)やってた。店屋。だけども、わしが帰るっていうんで、ママが、こかって(転んで)足折って寝てたよ。足折って。うちは、わしの子供の時分から、エブリシング(何でも)売る店やった。

日付: 2004年10月14・17日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 山本 恵理子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

family fishing migration

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団