10代での収容所生活 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 収容所に入れられた当時、バラック建ての家には寝る為だけにしか帰りませんでした。隣の家庭とを仕切るバラックの壁は垂木までの高さしかなくて、屋根の部分は全部空いているので、近所の人の話がつつ抜けでした。でも私はこれをいいことに、好き勝手な事をやっていました。 私の両親は、トランプやどんなカードゲームもギャンブルに関連するからといってやらせてくれませんでした。ですから私は収容所に入るまでトランプの遊び方を知りませんでした。食事は食堂でとるため、仲間と食べて両親と一緒にとることはありませんでした。収容所では野球などをしたり、夜も遅くまで起きてPinnacle(というトランプゲーム)のやり方を習ったりして遊び、そのあと家に帰る生活でした。ある夜、ついに母の堪忍袋の緒がきれて、こってり絞られましたよ。バラックの端から端まで全員に聞こえるぐらいにね。

日付: 2004年1月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アート・ハンセン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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