(英語)ほとんどのアメリカ人は(日系人の)立ち退き命令について知っていただろうと思うかもしれませんが、カリフォルニアの人たちでさえも日系人に何が起こっていたのか知らなかったんです。まるで日系人はただ消えていったかのようにね。アメリカの新聞も、日系人たちが最小限の持てる荷物だけ持って、どこへ連れて行かれたのかなんて、本当のところは重視していなかったんだと思いますよ。私の生まれ育った故郷であるサンペドロでも、私たち家族が戻ったら、「あなたたち日本人はどこに行っていたの?みんなどこかに消えてしまって!」なんて言ってましたから。彼らは、日系人を追いやるために政府が何をやっていたのか気付いてなかったんだと思います。
政府は、日系人の安全を確保するための措置なんだと言っていたとしても、本当はそうではなかったんです。それは、日系人であることへの罰のようなものだったんです。日系人を、敵である日本からの日本人と同じように見なしていたんです。収容所に行った私たちの70パーセントはアメリカ人だったんですよ。私たちはアメリカ市民で、残りはアメリカが市民権を与えなかった日本生まれの一世たちだったんです。
日付: 2003年6月16日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: カレン・イシズカ、アキラ・ボック
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター