第2次大戦中の日本での苦難(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) もちろん日本での生活はアメリカと違っていました。気候がとても違います。(日本に来て)1年も経たないうちだったと思いますが、私は胸膜炎にかかってしまいました。胸膜炎は「wet serous」とも呼ばれています。胸膜(腔)に水がどんどんたまるのです。医者の数は少なくて、とにかく呼吸もままならない状態でした。私は食欲をすっかり失ってしまいました。食べないので母がとても心配しました。医者が来て胸膜(腔)からたまった水を抜いてくれたので、少し呼吸が楽になりました。全ては闇市で(調達しなくてはなりませんで)した。お金があっても(普通の場所では)卵などの食べ物を買えませんでした。私達家族はお金がありませんでしたが、お金があったとしても買えなかったのです。

覚えていることがあります。Hachimaki(てぬぐい)をした母が家に戻って来て卵を1つHachimaki(てぬぐい)に包んで大事そうに手でに持ち「マリオン、マリオン、見て!いいものを見つけたの!あなたの分よ、見て!」と言いました。私は(普通)1度に卵を3つ食べられるのですが、この時は・・・。当時卵はとても貴重なもので、母は私の為に卵を手に入れてきてとても自慢げでした。母は「どう調理するのがいい?ゆで卵?半熟卵?目玉焼き?」と聞きました。私は食べたくないのに。

そうですね・・・今でも覚えているのは、この心あたたまる思い出です。その後結局どうしたかは忘れてしまいましたが。とにかく食べ物がとても少なかったことを覚えています。

日付: 2003年8月3・4日
場所: 米国、ワシントン州
Interviewer: アリス・イトウ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

japan world war II

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