ニューヨーク市の日本人会の起こり(英語)

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語) 1942年10月の妹の死(英語) 戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語) 真珠湾攻撃後の近所の同情(英語) ニューヨーク市の日本人会の起こり(英語) ニューヨーク市の日系人社会との関わり(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)現在の日系人会の母体は、戦前の日本人会(Japanese Association)です。戦後、「アメリカ人」という呼び方が導入され、日系アメリカ人会(ジャパニーズ・アメリカン・アソシエーション)、すなわち日本人会と呼ばれるようになりました。日系コミュニティで活躍した人たちのほとんどが、この会に属していました。会で活動したい人は、誰でも歓迎でした。

現在は、福祉に重点を置き、社会的、教育的活動や、私のような老人の世話もしています。一世のほとんどは亡くなっていますが、二世世代は老年期に入っています。それから三世や日本から来ている人々も含まれます。私たちは、西44番街15番地に移り、このビルの11階全てを借りています。誰でも訪れることのできる場所です。図書室には、日本のビデオや出版物が揃っていますし、私たちが保存している歴史的な収集品を見に来る人も多いですね。調べ物をしたい人には、日米関係の資料も揃っています。今はもう存在していないものでも、資料として残っていますよ。

日付: 2000年11月15日
場所: 米国、ニューヨーク州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

community organizations identity

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