日本ではアメリカ人として、アメリカでは日本人として踊る (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) (日本では)普通の学校のように、朝早くから学校に行き、三味線、鼓、踊り、演技、化粧の全てを学ばなければなりませんでした。その上、華道を学んで・・・お免状をすべて頂きましたし、お免状は全部持ち帰ってきました。でも・・・学校では、私のことが気に入らないと、いつも「アメリカに帰りなさいよ」と言う人がいました。また舞台では、グループで演奏していて誰かが間違えると「ちょっと、アメリカさん、アメリカさん!」「前に来なさい、前に来なさい」と私が呼ばれるんです。間違えたのは私ではなく、他の人なのに。何かあるといつも「アメリカさん」と言われるので、私の名前は「アメリカさん」になってました。やはり日本では、私はアメリカ人なんですね。想像つきますか?でもいつも間違える女の子からは「ありがとう。ありがとう」と(お礼を)言われました。私はいつも代わりに怒られても「間違えたのは彼女です」とは絶対に言いませんでしたからね。そのお陰で、みんな私のことを好きになってくれました。ですから日本では(周りの人たちと)うまくやれました。

I*:「日本では(周りの人たちと)うまくやれた」とおっしゃっていますが、心の中では辛かったのではないですか?

はい、確かに辛かったです。でも周りとどうやってうまくやっていくかを考えないとダメですから(仕方がありません)。その後、名取を取得し藤間勘須磨となり、私は「お師匠さん」になりました。つまりアメリカに戻った時は「お師匠さん」だったので、私は日本人とみなされたんです。ここアメリカでは日本人、日本では「アメリカさん」。だから日系アメリカ人と言われるのね(笑)。

*“I” はインタビュアー(ナンシー・アラキ)

日付: 2004年11月30日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ナンシー・アラキ、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

arts dance discrimination identity

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