日本の親戚を訪問(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)1947年秋、任期満了が迫っていました。任期中、私は福岡の親戚を訪ねることができました。軍用機を利用し、福岡へ飛び、確か、最初に訪れたのが父方で、次に母方の親戚を訪ねました。祖母は、90歳に手が届くくらいの年齢になっていたと思いますが、私は祖母の家に泊まりました。 家の外にある風呂に入った時のことは、今でもよく覚えています。風呂桶の下に薪をくべてお湯を焚いていて、桶はただの鉄でした。私は入り方が分からず、ただ飛び込みました。そして危うく背中とお尻を火傷するところでした。もの凄く熱くて飛び跳ねてしまいました。今でもよく覚えていますよ。忘れられません。 父方の祖母宅には一晩泊まり、次の日の朝、母方の親戚の家に行こうとすると、祖母に「馬鹿なことはやめてここに居なさい。ここがあなたの家よ!」と言われました。祖母は、私がずっと居るものだと思ったようです。 その後、私は母方の家に行き、数日間泊まりました。私が母の末の弟、叔父のことを知ったのは、この時が初めてでした。彼は、真珠湾攻撃(1941年12月7日、ミッドウェイ島における2回目の攻撃)に参加し、戦死していました。

日付: 2006年5月29日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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