ワイレア製糖工場をはじめた父の役割(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)ハワイに住むようになってから数年経って、ワイレアに土地をたくさん持ってたカブリノさんから、自分の持っている土地を貸すから、砂糖きびの栽培をしないかと申し出がありました。カブリノさんは父のことを非常に気に入ってくれていたんですね。それで、父もその申し出を引き受けましてね、祖父母もワイレアに住むようになったんです。

その頃の大手の製糖工場というのは、まずは自分たちの農園から収穫されたサトウキビの製糖を済ませてから、その他の独立系のサトウキビ農家のものを製糖していました。それで父はそのような独立系のサトウキビ農家を回って、自分たち独自の製糖工場を作ろうじゃないかと、訴えたのです。勿論、皆さん賛成してくれたんですね。それでポルトガル人のコスタさん一家も一緒にやってくれるということで、ワイレア製糖工場を作ったんです。それで父が副社長を務めました。その後、祖父の方は日本へ帰国してしまいましたが、父としてはこの大きな事業を経験するチャンスにも恵まれ、そして地域にも貢献することも出来るということで、ハワイに残る事になりました。

日付: 2006年5月31日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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