戦時中、日本帝国軍に従軍(スペイン語)

鍼医のパイオニアだった父(スペイン語) 戦後、アルゼンチン定住を決意(スペイン語) 戦時中の苦難(スペイン語) 戦時中、日本帝国軍に従軍(スペイン語) 戦後アルゼンチンに戻る(スペイン語) 日系人としての誇り(スペイン語) 運の強い男(スペイン語)

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(スペイン語)当時の高校生や大学生にとって、海軍飛行隊に入隊しパイロットになることが憧れでした。私もその一人でした。入隊はしましたが、大変な訓練でした。アルゼンチン人を含めた多くの人はその状況をきちんと把握していないので、「洗脳されていたから入隊させられたんだろう」と言いますが、実は入隊の条件は厳しく、その試験は大変難しかったのです。私の仲間は二回も受けましたが入隊できず、三回目は指を切ってその血で「なぜ、自分は死ねないんだ」と書きましたが、それでも入隊はかなわなかったのです。誰でも入れるわけではありませんでした。死にたくても死ねなかったのです。 そして、7~8ヶ月の訓練をへて最前線に行けるようになります。集中訓練と言いますか、スピーディーな訓練でした。16歳ぐらいの少年がそうした考えを持ち、訓練にも耐えていた時代でした。今の時代は科学もすごく進歩していますし、あの時代とは比較にならないほど時代は変りましたよね。

日付: 2006年9月18日
場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス
Interviewer: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ
Contributed by: アルゼンチン日系センター

Japanese Imperial Navy military navy World War II

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