私は工業学校出ましてね。そして、親父がそのメタン工場っていってね、その粘土で作る、作って、それを炭のかわりに使うのを作る会社を作ってたんで、その手伝いを1年ほどしたんです。しかし不景気でね、もううまくいかないで。毎日借金取りばっかしで。それでもうその借金取りも断りじゃ、これじゃもうどうもならんと思いましてね。何とかこう外国に来たいと思ってた。そのとき調度、そのブラジルと日本とが、提携して移民を送っておりまして、その移民の中に入れてもらって来たんです。
日付:
場所: ブラジル
Contributed by: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.