世界を見るためにブラジルへ

世界を見るためにブラジルへ ブラジルへ来る船の中で 耕地での経験 日本人初の運転手 戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

日本を出たのはね、わしのお父さんは酢を作ってんですね。それで、その酢を持って、なんじゃ、お客さんのところへ行ってこいって。それで故郷を出て初めて、変わったとこへ行ったんじゃ。それで変わったとこへ行ったとこが、それがまぁ美しく見えるんじゃ。いやぁこんなに立派なところが、いいような感じがしてね。それからもう学校よりも、そのヴィアハ(旅行)するのが好きになってね。それが始まりじゃ。わしの。

一番最初はそんなに[移民は]なかったんじゃわ。北米だけでね。それで今度は北米ではイギリス人・・・アメリカ人が日本人いじめよったんじゃ。それで大人をいじめるわけにはいかんから、子供をいじめよったんじゃ。それはまぁ雑誌に書いてあったがね。それをわしは持っとったんじゃか、どっかへ貸したかなんかしてね。それでなんじゃね、日本政府が[北米への移民を]とめたんじゃ。それで今度はブラジル[への移民]が始まったんじゃ。ブラジルが始まったところで、今度は、そのcomeçou(始まった)家族がね、家族でなかったら来らんない。それでわしゃ一人だからそういうわけいかんもの。それでわしの隣の人は、なんじゃね、あの家族で、まぁブラジルへ来れたから。でわしも、そのお父さんがその人と一緒になりたかったらね、もう旅券出しとったもんだから。それでわしのお父さんもね、旅費ないから手伝って、始めは自分の旅費を払わにゃいかんもの。そして、日本語でなに、服、服(洋服)作ってくれてからね、きれ買ってね。初めてね。そんな風でブラジル来よった(笑)。

日付:
場所: ブラジル
Contributed by: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

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