サンフランシスコのCWRIC(戦時市民転住収容に関する委員会)公聴会での悲痛な話(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)最も印象深かったのは、複数の一世女性が証言をするためにバスに乗せられて来た時のことです。全員が日本語で、個人的な体験、つまり自分たちに何が起きたかを話しました。今でも思い出される話があり、それは僕の記憶の中に鮮明に残っています。

その人は、FBIが夫を連れ去ったと言いました。夫は、その時まだ畑仕事をしていました。FBIは、夫が家に戻るまで待ち、彼が夕食をとることも服を着替えることも許しませんでした。FBIはそのまま夫を連れて行き、居場所がわからないまま、見つけるまで2日ほどかかりました。彼は、サンホゼの地元の刑務所に収容されていました。彼女が刑務所に行くと、守衛は日本語を話すことを禁じ、英語しか話してはいけないと言いました。でも、彼女はほとんど英語ができませんでした。2人の子供たちを一緒に連れて行きましたが、幼い子供たちには通訳はできず、ほとんどジェスチャーでコミュニケーションをとり、夫が欲しいのは着替えだということがやっと分かりました。そして彼女は、服を取りに家に戻りました。その時、夫はまだブーツのままでした。彼女は、着替えを持って刑務所に戻りましたが、着いた時には夫はもう居なくなっていました。その後、彼がどこに連れて行かれたのか、しばらく分らなかったと彼女は言いました。最終的に、彼は、モンタナ州ミズーラ周辺の強制収容所に送られていました。しかし、彼女が夫の居場所を突き止めたのは、その何ヶ月も、何ヶ月も後のことだったのです。

日付: 1998年7月1・2日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

CWRIC hearing FBI internment

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