アリス・スミダ

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

仏教寺院と地方の学校で受けた教育(英語) テンサイ農場で学んだ農作業(英語) 『青い目の人形』

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

アリスの両親は熊本県からカリフォルニアへ移住し、セントラルコーストで農業を営んでいました。そこで生まれた彼女は、6歳の時、グァダルーペの近くにあった仏教寺院の寮へ預けられ、12歳になるまでそこで日本語の読み書き、習慣、文化などを学びました。その後、地方の学校へ通いました。感謝祭、ハロウィン、クリスマスの時に常にダンスをする機会に恵まれ、ダンスへの興味を深めるようになりました。その後、サンフランシスコで発声練習のクラスをとり、未来の夫となるポートランド在住、10歳年上のマークに出会いました。彼の押しに負け、三日後に婚約、2週間後に結婚しました。1941年の真珠湾攻撃を機にアメリカは参戦。アリスとマークは家畜小屋に建てられたポートランドの集合センターへ移動するよう通告されました。2週間後、東オレゴンのテンサイ農場に夫とともに労働者として移動することになりました。アリスはそこでは唯一の女性であり、収穫は骨の折れる仕事だったと述べています。戦後は、不毛の地を土壌改良し、その努力も報われ、ついにはグラジオラス球根の最大の農園ができるまでになりました。1981年にマークが亡くなった後、アリスは幼い頃のダンスへの興味を復活させ、90代になっても世界各地で行われている社交ダンスの大会へ出場し続けていました。2018年8月16日、104歳で亡くなりました。2018年10月)

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