1月29日、ロサンゼルス・ダウンタウンのジャパンファンデーションを会場に、「Toyo’s Camera」と題されたドキュメンタリー映画の試写会が開催された。この映画は、日本で活動した後にグリーンカードを取得してアメリカに拠点を移したす ずきじゅんいち監督によって企画、演出されたものだ。
7年前にアメリカに移住したすずき監督にとって、日系人から聞く収容所体験は、日本にいた頃はほとんど知る機会がないものだった。確かに日本人は、 海外に出て行った人々に対して関心を持ってないようにも思える。社会の教科書で「海外移住」を学んだ記憶もない。筆者が日系アメリカ人について知ったの は、NHKで放送された「二つの祖国」が最初で、その後、イギリス人のアラン・パーカーが監督した映画「愛と哀しみの旅路」を見た。ちなみに原題は 「Come see the paradise」と言う。日系人が強制的に送り込まれた収容所の話なのに、「楽園に遊びにおいで」とは皮肉の効いたタイトルだと思いながら観賞した。
話は「Toyo’s Camera」に戻る。第二次大戦中に送り込まれたマンザナー収容所に、写真家の宮武東洋氏はカメラ部品を持ち込み、手製のカメラでこっそりと中の生活を 撮影した。写真という形の記録に残すことが自分の責務だと感じたからだ。すずき監督は、東洋氏のそれらの作品を通じて、戦時下の日系人の状況を伝えようと 映画化を企画した。収容所の中で父のアシスタントを務めたアーチー宮武氏からも、多くの証言を得た。
東洋氏はある日、マンザナー収容所の所長に呼び出しを受けた。彼は隠し撮りが発覚したのだと覚悟を決めた。しかし、高名な写真家エドワード・ウエス トンの友人であった所長は、東洋氏の活動に理解を示し、収容所内にスタジオを開設することを許可した。ただし、東洋氏自らがシャッターを押すことは禁じら れていたそうだ。
収容所内での生活はどのようなものだったろう。東洋氏の作品や、後にマンザナーを撮影したアンセル・アダムス氏の作品からは、日系アメリカ人たちの 穏やかな日常生活の様子が伝わってくる。その姿は戦時中の貧しい暮らしぶりの日本人の姿とはかけ離れている。しかし、比較すべきは日本とではない。親は日 本生まれの一世であっても、共に収容された若者や子供たちはアメリカ生まれのアメリカ市民なのである。同じアメリカ生まれの子供たちと境遇を比較すべきだ。
さらに、収容所の中での米国に忠誠を問うた質問状、日本派(多くは帰米)と米国派の対立、442部隊などヨーロッパ遠征部隊の活躍にまで話が及ぶ。
「Toyo’s Camera」とタイトルにはあるが、記者会見で監督も述べていたように、東洋氏の伝記映画ではない。東洋氏の写真を手がかりに、「戦時中の日系人の境遇」を描き、「その後の影響」を追った映画なのである。
最後、日本とアメリカの街角で「日系人の強制収容所体験を知っているか」と人々にマイクが向けられている。アメリカ人の方がむしろ知っているという印象だ。東京の日本人の中には「ドイツのユダヤ人の強制収容所のことですか?」と見当違いな回答をしている人までいた。
重要なのは、この事実を少しでも多くの人に知らせるということだ。歴史の事実を知らなければ興味を持つことはできない。興味を持たなければ、今後、同じような過ちを防ぐこともできない。
日本国憲法が改正されない限り、日本とアメリカが再び敵国同士になることはあり得ない。しかし、筆者と同じくアメリカ生まれの二世の息子を持つ友人がこんなことを言った。彼女は戦時中の日系人収容所問題に関心を持つ一人だ。
「もしも、また戦争が起こったら?そして、私たちの子供たちが、学校で一緒に学んでいる白人の子やヒスパニック、アフリカ系、他のアジア系の子と引 き離されて、収容所に送り込まれたら?日本生まれの親である私たちは『仕方ない』と思えるかもしれないけど、子供たちが同じ目に遭うのは絶対に納得いかな い」
確かに自分の身に引き寄せて考えればわかる簡単なことだ。あの時のことがいかに公平でなかったか、ということが。
***上 映 案 内***
ロサンゼルス
3月6日(金)-12日(木): Laemmle Monica4Plex
上映時間 (1日4回)
*12日(木)は、日本語での特別上映です。
3月15日(日): Aratani Theatre (JACCC)
上映時間 (11am/2pm/5pm)
*日本語での特別上映は5時からです。
*前売り券: $7 ・ 一般: $10
日 本
東京
4月11日(土) : Tokyo Metropolitan MOP
横浜
4月25日(土): Jack & Betty
*前売り: ¥1,200 ・一般: ¥1,800
Website: www.toyoscamera.com