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フレッド牧野金三郎氏の伝記 -ハワイ報知社を通じて社会に貢献- ~その2

>>その1

「ハワイ報知」創刊

1907年のストで、ホノルルの邦字紙界では大きな変化が起こり、それまで「布哇新報」、「布哇日日新聞」、「日布時事」という順位がひっくり返って、「日布時事」がトップに立ち、「新報」、「日日」と続く形になった。

これはスト前後を通じて、「日布」は労働者側を支持し、「新報」「日日」はスト反対の立場で妨害工作をしたため、大衆人気が「日布」に傾いたためだった。

ところが、「日布時事」の社長・相賀安太郎はスト後、態度を一変して、ハワイの砂糖資本に迎合する方針を打ち出してきて、ハワイの産業を背負って立つ資本家に反抗するものはこの地を去れと極論するようになった。

このことは、単に相賀がスト中の同士を裏切って変節したということだけでなく、当時ホノルルにあった邦字紙三紙が全部資本家側に付いて、労働者側の立場を代弁する邦字紙はなくなったということでもあった。

こういう認識は当時のハワイには相当広く行き渡ったものだったが、新しく新聞を始めようとする者はいなかった。

それは、前記三邦字紙はいずれも1890年代の後半に創刊、いくつもの邦字紙とせり合って生き残った新聞であり、各紙とも、当時のホノルル邦人社会の有力者と地盤を固めていて、その中に割り込んでいき、競争することは不可能であるということが常識となっていたからである。

そうした状況の中で、スト後、再び牧野薬店主に戻った牧野金三郎は、相賀変節後のホノルル邦字紙界に対する危機感を強めていき、ついに新聞発刊を決意するに至った。そして、牧野は最大限の努力を傾けて準備をし、1912年12月7日、「ハワイ報知」創刊号を発行した。

ハワイ報知社創業当時の社屋(マウナケア害パウアヒ街角)支那人家畜飼糧商義利商店の2階と3階を借りていた。

しかし、実際問題として、これは暴挙だった。十分な新聞発行の経験者を持つものは一人もいなくて、編集、営業、工場いすれも、ズブの素人(しろうと)ばかりで、皆、一生懸命に働くのだが成績は上がらず、ズルズルt苦境にはまり込んでいった。家賃の支払いは遅れ、電話代は払えず、月給も遅配となり、新聞用の紙も現金払いを強いられ、「ハワイ報知」は非常に困難な事態に落ち込んだ。

牧野薬店で原価を切って特別セールを行って現金を得て、その金を紙問屋に届けて新聞用の紙を配達してもらって新聞を印刷したことも何度かあり、牧野法律事務所の収入は全て「報知」に投入、その上、牧野のマノアの自宅の裏庭で牧野婦人が飼っていた豚も、新聞社の穴埋めのために売られるという具合で、本当のところ、当時の新聞社はごく小さな世帯だったので、牧野一人のやりくりで僅かに沈没をまぬがれることができたのだった。

クイン街第12号桟橋前に社屋を移転し業務を拡張した。

このような苦境にあっても「ハワイ報知」は牧野の指導の下に、立派な仕事は果たしてきた。最も有名な事件は、移民局内で、到着した呼び寄せ花嫁たちを一列に並べて、これを迎える花婿と一緒に、キリスト教式の集団結婚をさせられる、いわゆる「数珠(じゅず)つなぎ結婚式」が行われていたのを廃止させたことである。これは創刊号で取り上げられ、その後数ヶ月にわたって論陣を展開、ついに移民局長を屈服させたのである。

社長室での牧野氏。

この時期、牧野はその法律事務所を通じても華々しい活動を続けた。その主な仕事は、ハワイに到着しても、いろいな理由で上陸拒否になって送還になる人々の救出、あるいは以前から居住する日本人で、何かの間違いで送還になった人々の救出だった。「報知」創刊後、2、3年後の新聞には、牧野の尽力により送還中止になり居住を許された人々の「御礼広告」が多く掲載されている。

最も有名なケースは倉本辰蔵送還事件で、その貸家に売春婦がいたことから、家主の倉本は売春幇助罪に問われて有罪となり、送還命令を受けた。最終段階で以来を受けた牧野の懸命な努力で、倉本の護身律申請が許可された。しかし、その時、倉本はすでに送還のために船上にあり、船は出港した。牧野はモーターボートを雇って船を追跡、ホノルル港外で追い着いて停泊させ、裁判所の書類を提示して倉本を下船させて連れ戻した。牧野の果敢な行動はホノルルの話題をさらった。

こうして牧野に助けられた人々は、最も誠実な「報知」指導者となった。

その3>>

*本稿は、ハワイ報知創立75周年を記念して発行されたものです。

© 1987 Hawaii Hochi, Ltd.

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