日中関係が険悪になり、なんとか事態が改善の方向へ進まないかと最も気をもんでいるのは、中国在住の日本人と日本に在住の中国人ではないだろうか。なかでも、日本人と中国人のカップルはその思いを強くしているだろう。
世界中のほとんどの国の人間が国境を越えて移動し、異なった国や民族の人間同士が結婚し、新しい世代がつぎつぎに誕生している。日中間に限らず、国家間の紛争や民族対立が激化すると、こうした人たちは宿命的に辛い思いをする。
もちろんそれはいつの時代にもあることで、例えば9.11以後のアメリカでは、アラブ系やイスラム教の人たちとそれ以外の人たちのカップルは同様の思いをした。
こうした複雑な状況に置かれた個人の営みが、国家間の事情で壊されそうになるとき、人々は何をどう考え、生きていくのか。これらは文学のテーマとしても扱われてきたし、これらを背景とした物語や映画も少なくない。
その種の小説の中で、近年アメリカで大ベストセラーになったのが、ジェイミー・フォード(Jamie Ford)が書いた『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet』だ。
日本でも昨年末に『あの日、パナマホテルで』(前田一平訳、集英社文庫)というタイトルで出版された。日本版は現在約18000部だが、2009年の出版以来、世界の32カ国で翻訳され、本国では100万部を突破している。
シアトルで舞台化され、好評を得る
戦争と家族の事情によって、結ばれることがなかった幼い恋。その甘酸っぱくも苦い思い出を、数十年の時を経て振り返りながら、過去を修復し前へ進もうとする人間の姿が描かれる。
特殊な時代と環境を背景にして、切ないなかにもほのぼのとした情感が多くの人の心をとらえたのだろう。
作品の舞台となったワシントン州シアトルでは、このほど日系人俳優などによってこの小説が舞台化され、好評により当初の開演期間を延長して上演されている(Book-It Repertory Theatre)。
また、物語のなかで象徴的な役割を果たし、いまも実在するレトロなパナマホテルをはじめ、小説のなかの現場を訪ねる人も多いという。
時代は太平洋戦争が始まった頃とそれから四十数年経った1986年。2つの時代を行き来しながら物語は進んでいく。シアトルは古くから日本人移民が多く、日本人町が出来上がるほどコミュニティーがまとまっていた。このあたりの様子は永井荷風の『あめりか物語』を読むとよく分かる。
一方、中国からの移民も多く、日本人町と接してチャイナタウンが出来上がっていた。主人公のヘンリーは中国系アメリカ人2世の少年。父親は中国で日本軍と戦う国民党軍を援助するためにシアトルにいながらその資金を集めている。頑迷なほどの祖国への愛と日本への憎悪がある。
その理由が本書のなかでこうつづられている。
「アメリカの戦艦アリゾナ号を爆撃したからではない。四年も続けて重慶を爆撃しているからだ。ヘンリーの父親は重慶に行ったことはなかったが、蒋介石が作ったこの臨時の首都が、すでに歴史上もっとも爆撃を受けた都市になっていることを知っているからだ」(前田一平訳)
運命と愛情による作為が人生を変えるが・・・
父親の日本への敵愾心はアメリカにいる日系人にも向けられる。しかし、皮肉にも息子のヘンリーは、日系人少女ケイコと仲良くなる。
彼らはそれぞれ中国系と日系の子供が多く通う学校ではなく、白人ばかりの学校へ通っていた。そこで2人は、白人の同級生からいじめられ差別される者同士でもあった。
ケイコの両親はケイコをアメリカ人として育てようとし、ヘンリーに対してもやさしく寛容をもって接する。一方ヘンリーの父親は息子に一度は中国で教育体験をさせようと考えている。
ヘンリーは、英語を理解しない、国粋主義的な父親とうまくコミュニケーションが取れない。その上日系人であるが故にケイコと関わることに反対する父親への反発は強まる。
2人は惹かれ合うが“パールハーバー”ののち、日系人はそれまでの住まいを離れて集団収容され、ケイコの一家も遠くアイダホの収容所へ行く。再会を誓い合いヘンリーは手紙を送り続けるが、なぜかその返事は途絶えてしまう。
いったいどうしてなのか。そこから先は作品を追っていただきたいが、運命と愛情による作為が人生を変えていく。しかし、それを悲劇としてだけとらえず、心の中で消化して前に進む主人公たち。
やがてヘンリーは別の女性と結婚して息子をもうける。そして数十年がたち長年患った妻を見取り会社もリタイアし空虚な日々を送る。妻の死の前後から息子とはいまひとつうまくコミュニケーションができないことに、かつての自分の父親との関係を思い出す。

舞台化された「Hotel on the Corner of Bitter and Sweet」の1シーン。 左からSheldon(Marcel Davis)、Henry(Jose Abaoag)、Keiko(Stephanie Kim); photo by Alan Alabastro
* 本稿は、JB Press (Japan Business Press - 日本ビジネスプレス)(2012年10月30日掲載)からの転載です。