日本を感じる窓口
私が日本からアメリカに来た20年前、1週間のお楽しみは日曜の夜の日本語テレビだった。日本人の友達も身寄りもいないロサンゼルスで、日本語のテレビ番組は日本を感じられることができる窓口であり、日本語で心を慰めてくれる大切な存在だった。
日本にいたら絶対に見ることはないお涙頂戴のホームドラマも、日本語だというだけでチャンネルを合わせ、結果的に次の放送が待ちきれないほど夢中になったりもした。
あれから20年。当時、日本人や日系人に親しまれていた在米日本語テレビは元気だろうか。「元気だろうか?」と問うてしまうのは、当の私が日本語テレビを見なくなってしまっているせいだ。
私が在住している南カリフォルニアでは、実は今でもさまざまな日本語テレビを視聴することができる。40年の歴史を持つUTB(ユナイテッド・テレビジョン・ブロードキャスティング・システム)はチャンネル18.2で24時間、英語字幕付きの日本の番組及び自社制作番組をオンエア中。フジテレビの関係会社であるFCIは毎朝1時間、日本のニュースを放送している。それ以外にもマジックベル(前身はアサヒホームキャスト)、JATV、NTBなどが主に自社制作の番組を、週に30分程度オンエアしている。
一時期は、24時間放送の有料日本語放送、テレビジャパンを申し込んで視聴したこともあった。しかし、インターネットの発達で日本のニュースをテレビで見るまでの必要性を感じなくなり、どうしても見たいドラマはDVDをレンタルして見ることもできるため、ケーブルの会社を変えた後はテレビジャパンを更新しなかった。
ずっと通常チャンネルで見ることができていた老舗の日本語テレビ局UTBも、数年前に18.2というチャンネルに変わったのと同時に、「どうやって見るのかわからない」と匙を投げた形で、見るのを止めてしまった。
テレビの良さを改めてアピール
2011年12月、アメリカ本土初の日本語テレビ局として放送を開始して40周年にあたる年に、UTBの新しい社長に就任したのが川田薫さんだ。開口一番、川田さんは「これまでの私自身の地元社会とのつながりを生かしながら、コミュニティーに親しまれるテレビ局UTBとしての存在価値を改めて確立したい」と、今後の抱負について述べた。
川田さんは日本のロウソクメーカーの駐在員として1974年、デトロイトに渡ってきた。その後、デトロイトからカリフォルニアへ転勤となり、84年に日系企業に転職。99年にファイナンシャルプランナーとして独立した後、南カリフォルニア日系商工会議所の事務局長を経て、2011年、出身大学である同志社の先輩にあたるUTBのオーナーに声をかけられて、まったく新しいテレビ業界への転身を図ったのだ。
筆者自身の例に漏れず、人々はインターネットに親しみ、携帯電話や映画、雑誌など、テレビに依存しない流れも生まれている。しかし、過去40年にわたって南カリフォルニアの日系社会に愛されてきたテレビ局として、テレビの良さを再度アピールすることで、UTBの歴史を次世代に引き継いでいくことが使命なのだと語る川田さん。
「そのために、現在放送中の沖縄制作の『ウチナータイム』を皮切りに、日本各地のテレビ局と互いの番組を交換する企画を推進していきたいと考えています。南カリフォルニアには日本の40県の県人会が活動しています。自分たちの故郷で何が起こっているかを、テレビを通じて知らせていくことが狙いです」
また、自社制作を強みに、おしきせのコマーシャルではなく、商品やサービスの特徴をきちんと伝えることのできるインフォマーシャルの企画にも力を入れていきたいということだ。
さて、日本語テレビを見なくなった我が家では、何を見ているかと言うと…。子供たちや夫は好きな日本のテレビ番組のDVDをレンタルして各自の部屋で視聴し、私はリビングルームのテレビを陣取ってチャンネル18や44の韓国ドラマを見ている。韓国のテレビ局の勢いには凄いものがある。本国で放送中の人気ドラマに英語字幕をつけてアメリカの視聴者に向けて放送しているのだ。きっと、アメリカの韓国系の家庭では、英語がわからないおばあちゃんと、韓国語を話さない孫が一緒に同じドラマを見ているのだろう。そこには家族の団らんがあり、世代を超えた文化の共有がある。
「日本語テレビUTBを日系コミュニティーに取り戻すことが私の使命だ」と力強く宣言した川田さん。テレビ業界の出身でないだけに、彼の斬新な発想と実行力におおいに期待したい。