カイルさんは日系アメリカ人四世であるとともにメキシコ系アメリカ人の四世でもある。彼が祖父母に連れられて全米日系人博物館を初めて訪れたのは1997年、彼が小学一年生のときだった。「リトル・トーキョーの存在さえ知りませんでしたよ」と彼は話す。当時の彼は、自分が後に博物館でボランティアをすることになるなど思いもしなかったのだ。
インタビュー当時25歳で学生のカイルさんは、博物館で最もエネルギッシュなボランティアの一人だ。学業、アルバイト、そしてボランティアを全てをうまくこなしている。「平日は特に時間をしっかり管理しないといけません」とカイルさんは言う。このやる気は、1990年代に初期のボランティアとして活動した祖父母から受け継いだそうだ。
「祖父母が私を博物館に引き込んだんです」と彼は微笑みながら言う。「日系アメリカ人であることに関して言えば、祖父母のおかげで全く異なる見方をすることができるようになりました。自分の文化とアイデンティティについて多くを学ぶことができました。またより積極的に携わるようになると、日系アメリカ人としての経験について更なる発見をすることができました。そして今では自分のルーツについてもっと知りたいと思っています」
カイルさんの学びたいという意欲が衰えることはなく、長年ボランティアをしているロイ・サカモトさんからもいろいろと教わった。彼は親日派と見られた人々が収容されたツールレイク収容所に入った経験もある。「多くの人はツールレイクについてよく知りません。ロイさんは膨大な時間と労力を費やして研究を行い、博物館に貢献しています」
日系人であると同時にメキシコ系でもあるカイルさんは、独特な視点を持っている。ハパではあるが、日系人であるという自覚の方が強い。彼はこれも子供のころ近くに住んでいた祖父母の影響だと考えている。
カイルさんは家族で日本食を食べることはめったにないと言うが、お正月やお盆のような日本の伝統を祝い、食卓にはほぼ毎食お米があるという。しかし日本食を食べに行く機会は、家族とよりも友人と外出した時の方が多い。
カイルさんは祖父母が進んで彼らの話をしてくれたことを幸運だと感じている。「祖母ジューンは、特に彼女の収容所での生活や戦後の話などをよくしてくれました」
祖母のジューンさんはハワイで生まれ育った。第二次世界大戦が始まったとき、柔道の指導者であった父が米連邦調査局(FBI)に逮捕された。逮捕された1500人のほとんどが一世で、ジューンさんの父もその一人であった。当時ジューンさんはまだ6歳か7歳で、その後一家はアーカンソー州のジェローム収容所に送られた。
一方、祖父ヒデオさんは戦時中ハワイに残ったが、「敵国の日本人と同じ顔をしているため」いじめられたという。朝鮮戦争が終わるころ、ヒデオさんはアメリカ軍に徴兵された。
ヒデオさんとジューンさんはカイルさんにこう話すという。「私たち日系人のために活動を続けるんだよ」。カイルさんにはその覚悟ができており、ボランティアをすることは「祖父母との架け橋」になると考えている。
「来館者にはぜひコモングラウンドの展示を見てほしいんです」とカイルさんは言う。「アメリカの歴史の裏には誰も知らない物語があるということを皆さんにはぜひ知ってほしい。そしてこれはその一つなのです」。
* 本稿は、 日刊サンの金丸智美氏がインタビューをし、そのインタビューを元に、ニットータイヤが出資し、羅府新報が発行した『Voices of the Volunteers: The Building Blocks of the Japanese American National Museum (ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々)』へエレン・エンドウ氏が執筆したものです。また、ディスカバーニッケイへの掲載にあたり、オリジナルの原稿を編集して転載させていただきました。
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