長年送っていただいている、「子どもと本」の購読料が残り少なくなったので、送らせていただいた時のことです。ちょうど地元の公立図書館にリクエストをしておいた「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳)が、オレゴン大学の図書館から届いたばかりでした。どなたか司書の方が、わたくしのために、アメリカ各地の図書館にあたって見つけて下さったことに感激しましたと書き添えました。
すると、子ども文庫の会の青木祥子さんから「お手紙の中の図書館員のお話、すてきですね。思い出したのは、いつのことだったか、新聞の小さなコラムの、あるおばあさんからの投稿でした。第二次世界大戦中、日本人強制収容所にいたという彼女は、収容所にいる間、地域の図書館員が、本を収容所に届けてくれたことが忘れられない、ぜひ、その人と再会したいと、書いていました。本当に小さな記事でしたが、図書館員とは、そういう時も(こそ)、だれにでも平等に、本を手渡すというサービスなのだと感じいりました」とご返事をいただきました。
日本人強制収容所に、本のサービスがあったことは知りませんでした。
司書と子どもたちと、どんな交流があったのでしょうか。子どもたちはどんな生活をしていたのでしょうか。強制収容所にはどんな図書館があったのでしょうか。……
アメリカに住むようになって、収容所のことをもっと知りたいと思っていたのですが、のびのびになっていました。おばあさんの手紙が心から離れない今が、いい機会です。早速調べ始めました。
それを何回かに分けてお届けしたいと思います。まず、第1章では、日系人たちが住んでいたところから立ち退かされるまで、第二章は、強制収容所ができるまでの間、競馬場やフェアグラウンドにつくられた間に合わせの「集合所」で、仮の図書室がうまれる様子です。第三、四章では、いよいよ気候も厳しい内陸の強制収容所での生活がはじまります。子どもたちはどんな生活をしていたのでしょうか。何もないところから図書館を作り上げた人々とそれを支えた人々のこと。第五章は、それぞれの人々のその後をお伝えします。
案内役はシアトルのヘンリー、バークレーのヨシコ、グアドループのジーンとサンディエゴの「ブリードさんの子どもたち」です。できるだけ、子どもたちの声をそのままお伝え出来ればと思います。
* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号(2013年4月)からの転載です。
クララ・E・ブリードコレクション(全米日系人博物館所蔵)
今回のストーリーの元となった子どもたちの書いた手紙(英語)をご覧ください。