これは、羅府新報の最終版に載った記事である。
「最後の碁の名人、カズキ・ツクヨミは、2185年8月11日の皆既月食を待っていたかのように、同夜、リトル東京の最後の残骸と共に静かに世を去った。享年124歳であった。この日20年にも亘った全米日系人博物館をめぐる法的争いは終った。博物館は、リトル東京の日本人にとって最後の聖なる文化的アイコンだった。悲しいことに、ツクヨミ氏の死後数日後には、自動式ドローンの新しい格納ポートを作るために、博物館の展示品はすべて撤去され、博物館は市によって取り壊されてしまった。しかし、彼の命日は、皆既月食と名人の死と同時に起こった地震のおかげで、いつまでも人々の心に残る日となった」
始まりは2156年の夏であった。非営利団体である全米日系人博物館の文化委員会は、なんとかして博物館が解体されるのを阻止しようと懸命になっていた。しかし、懸命になればなるほど、法的に不利な結果に終わった。ネットのニュースメディアに注目してもらおうと試みたが、どのメディアも全くと言っていいほど関心を示してくれなかった。ついに文化委員会は博物館を救うことをあきらめて、博物館にある収蔵品を守ることに尽力するようになった。学芸員のダイスケは小人数しかいないスタッフとボランティアを指揮し、翌朝に予定されていた市による取り壊しの前に出来るだけ多くの収蔵品を救い出そうとしていた。
それは暑い夏の日だった。カズキ・ツクヨミ氏は、手に持っていた羅府新報を置き、奥さんに、博物館へ碁を打ちに行くと告げた。そして、自分の黒と白の碁石を丁寧に皮袋に入れ、茣蓙を持ち、家を出た。妻のウケ・モチ・ツクヨミさんは、夫のカズキさんが何をしようとしているのか知らなかった。夕食を作ることに専念していたため、夫の行動に注意を払っていなかったからである。
最後の碁の名人ツクヨミ氏は、こっそりと博物館の中に入り、囲碁の展示室に向かった。そして茣蓙を広げて座り、最初の白石を年代物の碁盤の上に置いた。
最初は誰も関心を示さなかった。というのも、基盤に置かれた碁石をじっと見つめて座っているだけだったからだ。ツクヨミ氏は、誰に言われることなく自ら座り、一局打ち始めたのだ。実際に彼の存在に気付いたのは、誰かが古い基盤をのけるよう頼んだ時だった。
あるボランティアの若者が、ツクヨミ名人に場所を移動してもらえるよう頼んだのだ。名人は何かに深く集中していて動こうとはしなかった。若くて少し短気なボランティアは、もう一度その場をのいてくれるよう頼んだが返事はなかった。耳が遠いのだろうと思い、今度は声をはりあげた。すると学芸員のダイスケがやってきて、「何故そんな大声をだしているのだ?一体どうしたんだ?」と尋ねた。
ボランティアの若者は、どぎまぎしながらダイスケを見て、床に座っている老人を指さした。「どいてくれないんです」
ダイスケは、床に座っている老人を見下ろし、一体何が起きているのか理解しようと努めた。すると碁盤の上にあるたった一つの碁石が目に入った。小柄な老人は顔を上げ、ダイスケをじっと見つめた。その瞬間、ダイスケは、老人が何者で何をしようとしているのかを読み取った。そして博物館にいた人全員に「彼の好きなようにさせてあげて。他の人は皆集合して」と指示した。
ツクヨミ氏はこの世に実在する最後の碁の名人であったが、彼のことを覚えている人はほとんどいなかった。彼が展示室に座り、碁石を一つ碁盤に載せたことは、彼の社会に対する反抗であり、市民としての反対の声を示す精一杯の行為だったのだ。
この時代、このような形で反対の声を上げる人などいなかった。まして碁を使って博物館の取り壊しを遅らせようとするなど、聞いたこともなかった。囲碁では、数分が数時間に、数時間が数日、数か月に引き延ばされることはよくあることだった。すなわち、これは碁を使った完璧な引き伸ばし作戦だったのである。最初の碁石が基盤に置かれれば、名人が最後の石を碁盤におくまで、その一局は継続させなければならなかった。
学芸員のダイスケは、群がっているボランティア達にこう言い渡した。「皆さん、今やっている事をやめて、動かしたものも元に戻してください。ツクヨミ名人が一局打ち始めたので、この局が終るまで博物館から物を運び出すことはできません」
ほとんどの人が笑顔になり、中には大声で笑い出す人もいた。しかし、ダイスケが助手に向って「弁護士のカツミ先生を今すぐここに連れてきて下さい」といった時、彼が本気であることを皆、理解した。
ダイスケは、ボランティアを解散させ、そこにいた日本人の子供たちに「外に行って、大きな白板を持って来てくれないかな。そしたらその白板を囲碁の展示室に立てて、黒いマーカーで真中に線を引いてもらえるかな」と言った。
「どうして?」と、少年少女は口をそろえて質問した。
ダイスケは、抜け目なくにっこりと笑い答えた。「なぜって?この一局の得点を記録する為に決まってるじゃないか」
ツクヨミ名人が一局始める前、特にここ2、3年、全米日系人博物館の来館者は年間で一握りしかいなかった。博物館のスタッフは、密かに博物館をあきらめて自分の道を歩もうなどと思っていた。しかし、展示室の真中に居座っているツクヨミ名人を残し、リトル東京から離れるなんてとてもじゃないが出来なかった。ここ何年かの間、多くの日系人がリトル東京から離れていった。その多くは仕事を求め、シリコンバレーやサンフランシスコなど、裕福な日本人の家族がいて、日本文化の行事やビジネスが繁栄している地へと移っていった。
長い年月をかけ、リトル東京から徐々にではあるが人々がいなくなり、空き家になった建物が一軒ずつ取り壊されていった。今では全米日系人博物館だけが、唯一日系コミュニティがこの地に栄えていたことを思い出させてくれていた。最後の碁の名人ツクヨミ氏が展示室の真中に座り込み、一人で碁を打ち始めたのは、そんな時期だった。
待ちかねているところへ、博物館のカツミ弁護士が到着した。彼女が最初に目にしたのは黒い線が真中に縦に引いてある白板で、黒線の片側には漢字で数字が書かれていた。次に目にしたのは、碁盤の前に座っている小柄な老人で、碁盤の上には碁石がたった一つだけ置かれていた。カツミ弁護士は「どうなさったんですか?」と訊いた。「明日建物が取り壊されるのに、展示品を運び出さなくていいのですか」
ダイスケ学芸員は、座っている最後の碁の名人と白板に書かれている点数を指さし、簡単に述べた。「ツクヨミ名人が、一局始められたのです。20年前に 『アメリカの人間国宝』に指定された彼を誰もが見れるよう保護しなくては…」
カツミ弁護士には状況が読み取れなかった。タブレットを取り出し、小柄な日本人の老人の写真を撮って、イメージ検索を行い、検索結果を読み上げた。『2165年、ペドロ・ペドロザ大統領は、碁の最後の名人カズキ・ツクヨミをアメリカ文化の人間国宝に認定した…』
ここまで読み上げたカツミ弁護士は、満面の笑みを浮かべながら、ダイスケを見た。「ダイスケさん、やりましたね。これなら、彼が碁を打っている限り、裁判所から建物取り壊しの差し止め命令を取り付けることができます。ダイスケさん、よくやったわね!」
ツクヨミ名人は、この会話には関心を示さず、静かに座っていた。取り壊し差し止め命令の噂は、急速に広まった。この時から、名人が一つ碁石を置くたびに、メディアや専門家だけでなく、ネット荒らしや偽の批評家たちもがニュースとして取り上げるようになった。
まもなくして小型ドローンに搭載された何10台ものカメラが名人の周りを飛び回り始めた。まるで夜空を飛ぶ緑と赤の小さい蛍のようで、どれもがピカピカさせながらブンブンと飛び回り、ツクヨミ名人の姿を即刻世界中に流した。博物館内には、小型ドローンがいたるところに飛び回っていた。まるで小蠅のように名人の頭の上を飛んだかと思えば、名人の顔の表情が少しでも動くとその瞬間をとらえようと、彼の周りを行ったりきたりするのだった。ある日、名人が鼻をひくひくさせると、数台のドローンが名人に向かって急降下した。名人はくしゃみをしただけだったが、その映像はすべてのソーシャルメディアを通して急速に広まった。メディア関係者は、密着取材の対象を見つけたようだった。
名人が碁石を一つでも置くと、世界の何百万もの人に即刻知れわたった。最初の一年間、碁の人気は昔の盛況を取り戻し、何百万という碁盤、碁石がオンラインのいたるところで売られるようになり、まだ残っていた数少ない大型店舗でも取り扱われるようになった。博物館では一旦は閉めてしいたギフトショップを再開し、お察しの通り、碁に関する諸道具や衣類を売り始めた。一番人気があったのは、「最後の碁の名人」のシャツとコップだった。そして何よりもよかったのは、博物館取り壊し反対をサポートするための法的資金として、溢れるほどの寄付金が集まったことだった。
ツクヨミ氏は今でも最後の碁の名人であり、この一局が終るまで彼に挑戦することは誰にも出来なかった。最初は、ツクヨミ名人だけが碁を打っていた。しかし今では、老いも若きもあわせて何百万もの人々が碁を打っていた。また多くの人々が、最後の碁の名人が打つ一手をじかに見ようと、はるばる遠くから博物館に巡礼の旅をしてきたのは大きな出来事であった。
一年そしてまた一年と月日はゆっくりと過ぎて行った。ツクヨミ名人は碁盤上の黒白の碁石を見つめながら、なかなか動かなかった。奥さんのウケ・モチは、毎日お弁当の差し入れを持ってきた。名人は、奥さんがそばにいるのを喜んていた。しかし、ある日を境に奥さんはお弁当を持ってこなくなった。代わりに、娘のアマテラスがお弁当箱を持ってきたので、娘と一緒に昼飯を食べるようになった。名人は、奥さんが亡くなったのを知っていたが、碁の手合いは続けたのだった。
碁の名人は愛するウケ・モチの死を心中非常に悲しく思い、17日間というもの身動きもせずに座っていた。市の取り壊し課の課長が取り壊し差し止め令の撤回を取り付けようとしたその時、名人は、片手をあげ思いとどまるよう合図を出した。そして、黒い碁石を一個つまみ上げ、碁盤のここぞと思われるところに静かに置いたのだった。
それから2年後、学芸員のダイスケも市の取り壊し課の課長も定年退職を迎えた。しかし一局はまだまだ終らなかった。両者の職はすぐに別の人に引き継がれ、例の取り壊し差し止め令は有効であり続けた。
この一局を始めた時、ツクヨミ名人は104歳であった。今年、2185年の8月11日、124歳の誕生日を迎える。その日に起きる皆既月食を見るのを、彼は楽しみにしていた。月食が起きている間に、最後の石を碁盤に置いて、この局を終了させようと計画していた。
スコアボードによると、423手が彼の最後の一手になると思われた。ポケットに隠していた碁石で、接戦となったこの一局で勝利を手にするのだ。隠していた石が黒か白かは、彼のみが知っており、彼のみがその石を碁盤に置くことで一局を終わらせることが出来るのだった。
今では、孫娘のツキ子が、夕飯を運んできていた。その晩、ツキ子はお祖父さんと一緒に食べようと、彼が一番好きな料理を持ってきた。碁盤を見たツキ子は、あと一つ碁石を置けば、この一局は終了することに気がついた。しかし、「何を待っていらっしゃるのですか?お祖父様、どうしてこの局をを終了なさらないのですか?」と差しさわりのないよう尋ねた。
ツクヨミ氏はニコニコ顔でツキ子に言った。「わかっているんだろ。満月が高く登って、窓から琥珀色の月光が私達の上に降り注いでくれるのを待っているんだよ」
ツキ子は、ツクヨミ氏の額に優しくキスをしこう言った。「わかってますったら。大好きなお祖父さま。お祖父さまのロマンチックなこと」
母親のアマテラスが亡くなってからというもの、ツキ子は毎晩食事を運び、一緒に夕方の一時を過ごしていた。その晩もいつものように食べ物をひろげ、お祖父さんのお皿に取り分け「お誕生日おめでとう、お祖父様」と優しく言った。
ツクヨミ氏はうなづきながら、奥さんのウケ・モチを懐かしんでいた。誰もいなくなった博物館で、二人でこうして座り、手を取り合い、夜遅くまで話し込んだ事を思い出していた。ここに一人で居るのは、今晩が最後だという事を名人は知っていた。
名人はこの世を去るのを恐れてもいたが、何事にも終りがある事、ことにこの一局は終らせなくてはならない事を知っていた。長くやりすぎたことも解っていたが、そうかと言って早すぎる終りも避けたかった。今晩が来るのを、どんなに待ったことだろう。皆既月食が、彼の誕生日におきるのだ。一局の終わりに、天文学的にこれほど完璧な日があるだろうか。
碁の最後の名人カズキ・ツクヨミ氏は「灯りを消しておくれ。琥珀色の月食の光を浴びたいから」と孫娘に言った。
ツキ子は立ち上がると明かりを消した。白く輝く月光が展示室に流れ込んだ。ツキ子は、こんなにも白く輝く月光を今まで見たことがなかった。直ぐに展示室は優しい美しい琥珀色の光で包まれた。赤い月食の光りにすべての物が照らされている美しい展示室を見て、ツキ子は微笑み、声を上げた。
「お祖父さま、何もかもがこんなにも美しいなんて!」
白い碁石と碁盤が琥珀色の赤い色を余すことなく吸い込んでいくのを見ながら、なんて美しいのでしょうとツキ子は思った。
その時、お祖父さんの手が碁盤の上の空間で何かを掴むのに気がついた。ツキ子の目に涙が溢れ、深いため息をついた。お祖父さんの手に触ろうと優しく手を伸ばしたその時、最後の碁石が碁盤の空っぽのスペースに落ちた。それは、黒石ではなくて、琥珀色の碁石のように見えた。
ツキ子を一人展示室に残して、ツクヨミ氏この世を去ってしまった。立ち上がったツキ子は、転ばないようにバランスをとった。最後の碁の名人「カズキ・ツクヨミのみこと」が昇天するにともなって、地球が揺れ動いたのだ。
* このストーリーは、リトル東京歴史協会による第3回ショートストーリー・コンテストの英語部門での最優秀賞作品です。