東 繁春

(ひがし・しげはる)

1954年、広島県呉市に生まれる。1981年に渡米、ロサンゼルスの加州毎日新聞とサンフランシスコの日米時事新聞で、日本語記者として働く。そのご、朝日新聞ロサンゼルス支局の助手、共同通信社のロサンゼルス米国法人で日本語ニュース配信マネージャーを経験。1998年7月に月刊英字新聞Cultural Newsを創刊した。Cultural News はロサンゼルス近郊の日本美術展、日本文化イベントを紹介している。最近は、デトロイトでの日本美術展やポートランドの日本庭園の紹介も行っている。月刊新聞 Cultural Newsのウェブサイトはwww.culturalnews.com

(2018年3月 更新)

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百年続く南カリフォルニアの仏教会とその開教使の横顔

120年の歴史を持つ南カリフォルニアの日系コミュニティーの中で、浄土真宗西本願寺派の仏教会は、特に20世紀の初めの約60年間は、宗教としての役割以上に日本人移民のための文化センターやコミュニティー・センターの役割を果たしてきた。 西本願寺派の米国組織、米国仏教団は、戦前から、信者が集まる場所を寺ではなく、仏教会と呼んでいた。最近は「お寺」と呼ぶひとも増えている。各地の仏教会に属する僧侶を開教使と呼ぶ。日本では浄土真宗をはじめ大半の仏教宗派では、住職の世襲制が一般的であるが、米国仏教団の場合、仏教会メンバーが寺の所有者で、各地の仏教会が開教使を仏教団へ依頼をし、招聘するという形式になっている。仏教会の運営は、キリスト教の教会運営を雛形にしている。 100年以上の布教の歴史を持つ米国仏教団では、1980年代までは開教使のほとんどが日本で生れ育ち、渡米した日本人だったが、それ以降は、日系人を含むアメリカ人が開教使になるケースが増えている。現在、米国仏教団は開教使を養成するコースを持っていて、最近は、日本に修行に行かず、米国内で僧侶になる人が増えている。 2017年3月、創立から90年以上が経つロサンゼルス市近郊のガーデナ仏教会(2017年2月27日の掲載記事参照)では、日本生まれの主任開教使、宮地信雄(みやじ・のぶお)師が引退し、ロサンゼルス生まれの日系三世・庵原ジョン一徳(いお…

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日本人の戦後移民史:自らの虐待体験から渡米への経緯を自伝的小説として出版したロサンゼルスの医師

舞台は敗戦直後の東京、都心・文教地区の裕福な家庭の子どもたちが通う小学校に、毎日5キロの徒歩通学をする二郎。この二郎には級友にも先生にも言えないことがあった。二郎は、父親から虐待を受けていたのだ。 『家庭内捨て子物語』(2016年11月、論創社から発行)は、ロサンゼルスに実在の日本人医師、入江健二氏が書いた自叙伝的小説だ。衝撃的なタイトルとはまったく逆に、この本の文体は、とても明るく、気持ちよく、一挙に最後まで読むことができる。 父親から虐待を受ける子供の感情が克明に描かれているにもかかわらず、読後感に暗さを感じさせないのは、虐待を受けた二郎が、父親になり、息子の太郎に暴力をふるうという「被害者から加害者へ」の負の連鎖を描き、家庭内虐待を世に問い、克服したいという著者の決意のようなものがこの本の最後に示されているからだ。 この本は、フィクションであるが、著者・入江健二氏がこの本の自己紹介で明らかにしている履歴と、主人公・野呂二郎の設定を比べると、この小説が、入江氏の自伝に限りなく近いことが、容易に理解できる。 つまり、二郎が入った大学「東都大学」は東京大学で、二郎が小学校から高校まで通った学校「東都教育大付属」は、東京教育大学付属である。 東京教育大付属は、現在は筑波大学付属として続いている小・中・高学校で、戦前は、皇族が通う学習院に対し、民間の富裕層の子どもが通う…

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ロサンゼルス日系社会に大きな影響を与えた仏教会-1930年代の浄土真宗の開教使の記録から

南カリフォルニア地区における浄土真宗西本願時派の拠点といえるのがロサンゼルス・リトル東京にある西本願寺ロサンゼルス別院だ。このお寺では、45年以上にわたって1月初旬に「米国版紅白合戦」という歌謡ショーが行われ、毎年1000人近い観衆を集めている。 「米国版紅白歌合戦」の企画とステージ司会に第1回から参加している二世の西タックさん(現在、80歳)は、ウエスト・ロサンゼルスのソーテル地区で生まれ、1941年から1956年を鹿児島県加世田市(現在・南さつま市)で過ごした。西さんの本業はガーデナ(庭師)で歌謡ショーの企画や司会をやるようになったのは、1960年代にウエスト・ロサンゼルス仏教会(ソーテル地区)で日本で教育を受けた二世の集まり「寿会」に参加したことがきっかけだった。西さんは、この歌謡ショー活動のほかに、南カリフォルニア庭園業連盟の役員、南カリフォルニア鹿児島県人会の役員も長年にわたり引き受けていて、ロサンゼルス日系社会になくてはならない存在だ。 一方、ロサンゼルス市の南側に隣接するガーデナ市は、日系人が多いことで知られている。この市にあるガーデナ仏教会には、8畳の茶室があり、ロングビーチ生まれの三世・猪瀬加代子さん(現在75歳)はここで週1回茶道を教えている。三世だが、父親が日本で教育を受けた二世なので、日本語もうまく、日本文化をよく知っている日系人だ。 猪瀬さんの青春…

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ロサンゼルス・ソーテル地区に集まった日本人キリスト教信者たち

約100年前に一世たちが作り、今でも続いているロサンゼルスにある数カ所の日本語学校は、パサデナにある日本語学校パサデナ学園をはじめほとんどが「学園」と呼ばれている。しかし、ウエスト・ロサンゼルスのソーテルにある日本語学校The Japanese Institute of Sawtelleの日本語の正式名称は「ソーテル日本学院」である。 長い間わたしは、この学校の日本語名称は「ソーテル日本語“学園”」だと思い込んでいた。2015年12月に行われた90周年記念イベントで、高橋美和校長が何度も「ソーテル日本学院」と呼び、印刷物にも「学院」と書いてあることを見て、間違って名前を覚えていたことに気がついた。 日本では、明治学院、神戸女学院、広島学院(中・高校)の名称のように、キリスト教の理念によって設立された学校に「学院」がよく使われる。ロサンゼルスでは「学園」という名前を持つ日本語学校は、仏教会のメンバーを中心に設立、運営されてきた歴史を持っており、「ソーテル日本学院」は、日本人のキリスト教信者によって作られた学校かもしれない、とひらめいたのだった。 わたしの直感は、90周年記念イベントの時すぐに確認ができた。学院の創立者・坂本儀助の孫、ランディー坂本さんが出席していたからだ。その後、ランディー坂本さんとの数回にわたるインタビューとメールのやり取りを通し、戦…

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日系人が語り始めた「もうひとつの勇気」 -戦闘訓練を拒否し、反逆罪に問われた元日系兵士の名誉回復-

第二次大戦中の日系兵士の歴史は、ヨーロッパ戦線で活躍した442部隊がよく知られているが、442部隊としてヨーロッパ戦線に送られる前の訓練の段階で、戦闘訓練を拒否したために、反逆罪に問われ、懲役刑を受け、不名誉除隊になった日系兵士21人がいた。 2012年にこの懲罰を受けた日系兵士に関する初めての書籍が出版され、ロサンゼルスの日系人の間で、ようやく知られるようになった。そして2015年9月12日に全米日系人博物館内のタテウチ・フォーラムで行われた、442部隊の功績を継承することを目的とする非営利団体「ゴー・フォー・ブローク」と全米日系人博物館の共催によるシンポジウムでは、懲罰を受けた元兵士の家族約20人と、元兵士1人が初めて公の前に姿を現した。 このシンポジウムは「もうひとつの勇気」(A Different Kind of Courage) と題されていた。 第二次世界大戦中に、日系人強制収容所から、二世の志願兵を集めて米陸軍の中に日系部隊(442部隊)が作られたことは、よく知られているが、日本の真珠湾攻撃による日米戦争の勃発前そして、日系部隊が編成される前から、数百人の日系二世や帰米二世(米国生まれで日本で教育を受けた二世)が、すでに米陸軍に入隊していた。 1941年12月に日米戦争が始まると、日系兵士のうち、特に帰米二世は、敵国の出身であるとして、米軍内で不信者とし…

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