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日系アメリカ人クーリエ放送
『ジャパニーズ・アメリカン・クーリエ』紙(Japanese American Courier、以後『クーリエ』紙)は1928年1月にシアトルで創刊された2世を対象とした英字週刊紙(ジェームス坂本社長)で、毎週土曜日に発行されていた。当初はシアトル周辺をカバーしただけであったが、その後に西海岸に版図を広げた。
この英字紙が主宰するラジオ番組が1934年2月にKXA局で開始された(一時期KOL局やKJR局に変更された)。毎週火曜日午後8時からの30分番組で、正式には「Our Japanese Community」と称した。英語を主体に、時折日本語も使用されていたようである。アナウンスは俳優としても活動していた中村鶴英が担当した。「つるえ」という名前の発音がアメリカ人にとって難しいため、中村はツル(Tura)の愛称で知られていた。中村の不在時にはクーリエ紙編集部員の金沢徹(英語担当)や石神伝蔵(日本語担当)がアナウンスを担当した。石神は落語、浪花節などの演目で番組に出演し、リスナーにはお馴染みの人物であった。
当初の番組内容は地元で活動するクラシック、洋楽および邦楽アーティストによる生演奏、日本から送られてきたレコード演奏、そしてスピーチの3本立てであった。
音楽分野では、バイオリンの神童と呼ばれた田実和子、アエオリアン…