セス・ヤコボヴィッツ

(Seth Jacobowitz)

京都アメリカ大学コンソーシアムの所長。『Writing Technology in Meiji Japan: A Media History of Modern Japanese Literature and Visual Culture』(2015年、ハーバードアジアセンター)の著者であり、ブラジル人作家フェルナンド・モライスの『汚れた心』の英訳者。現在次作『Japanese Brazil: Immigrant Literature and Overseas Expansion, 1908-1945』を執筆中。

(2021年10月 更新)

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フジタが見つけたアメリカ大陸:ある芸術家の旅 - その2

その1を読む>> ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、キューバ滞在後、藤田嗣治は世界各国への旅を続けた。1932年11月、フジタはメキシコシティに到着した。アート界の世界的有名人として、フジタはすでにメキシコのアートファンの間では有名だった。フジタの作品は、1922年にはすでにメキシコの『エクセルシオール』紙の特集記事に、「偉大かつ風変りな日本人画家、パリで盛大に称賛される」と取り上げられていた。 フジタは、もともとメキシコシティには1ヶ月だけ滞在し、20年前に「光の都市」パリに到着した後、間もなくして出会ったディエゴ・リベラを訪ねる予定だった。しかし、1933年初頭、リベラは米国で壁画を制作していたため、再会はかなわなかった(ニューヨーク市のロックフェラーセンターから委託を受けて制作した壁画だったが、評判が悪く結局破壊された)。 それでもフジタはメキシコ滞在を大いに楽しみ、結局7ヶ月間滞在した。フジタにとってメキシコは制作意欲がそそられる場所であり、膨大な量の絵を完成させた。その後のインタビューでフジタは、メキシコでは映像を何巻も撮影したことを明かし、書き溜めたスケッチはマドレーヌ(マディ)の旅行本のイラストに使うつもりだと付け加えた。 メキシコシティ滞在中、フジタは大規模な展覧会に40点もの作品を出展し、美術品収集家のルイ・アイシェンヌは、フジタの線描画の展覧会…

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フジタが見つけたアメリカ大陸:ある芸術家の旅 - その1

レオナール・フジタ(別名:藤田嗣治)の名は今ではほとんどその輝きを失っているが、1920年代のパリで全盛期を迎えた世界で最も祝福された日本人画家である。フジタは、(ハリウッドスターの早川雪舟と並び)間違いなく最も有名な日本人であった。 1886年嗣治(つぐはる)として日本に生まれたフジタは、日本軍の将官を父に持ち、パリでアーティストになることを目指して1913年に日本を旅立った(パリでは姓の綴りを“Fujita”から“Foujita”に変更し、主に姓のみで通した)。 初個展でフジタは、中世のキリスト教と日本画図像を融合した金箔のような背景のある絵画など、さまざまな魅力的な画題を扱った。その後間もなくして描いた幽玄なパリの裸婦と物憂げな猫の肖像画は最も人気を博すことになり、数年のうちに“エコール・ド・パリ”と呼ばれる近代画家サークルの代表的画家となった。フジタの画法は、西洋の油絵に日本の木版画と墨絵の手法を取り入れたもので、細い線描で陰影を描くというものが特徴的だった。フジタは独自の乳白色を生み出し、それを“素晴らしき白”と呼んだ。その上に真っ黒の線描を重ねて描くと、ボヘミアンもブルジョアも共に彼の作品に魅了された。しかしフジタのマッシュルームカット(ビートルズより半世紀早かった…

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