ホセ・ヨシダ・セリカワ

(José Yoshida Sherikawa)

1935年、ペルーのカニェテ市に生まれる。スポーツや教育施設を整備している「ラ・ウニオン運動場協会(AELU)」の副会長を2回歴任。1979年の第1回ペルー2世シンポジウムの企画メンバーの一人である。パンアメリカン日系人協会の創設者として、第1回目の「メキシコパンアメリカン日系2世大会」で講演し、日本国外務省の日系リーダー招聘プログラムにも選ばれ日本に招待されている。 

(2021年9月 更新)

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ニッケイ物語 #10—ニッケイの世代:家族と コミュニティのつながり

悲しむべき友情の終わり

この物語の主人公は、「SS香港丸」で共にペルーに到着した九州の佐賀県出身の4人組です。同じ地域で生まれたということもあり、長旅の中、4人の間にとても素晴らしい友情が芽生えました。それは、友情以上の「兄弟愛」になりました。 4人は、リマから南140キロに位置するカニェテ地方にあるブリティッシュ・シューガー社のサンタバルバラとカサブランカ・サトウキビ農場で5年間働きました。 契約終了後、うち二人はカニェテ地方からさらに南90キロのピスコに転住しました。仮名で呼ばせてもらいますが、一人はタモツさん、もう一人はツネスケさんにします。タモツさんは、町中心部にある市場の近くにレストランを開店しました。とても流行りの店となり、ペルー・スルチーコ(南部)地方で最もおいしい肉料理店として知られるようになりました。そこで提供されるお皿の3分の2を占める牛肉は、肉厚が2センチもあり、柔らかくてジューシー、側面にはおいしさを引き立てる骨と脂身がのっており、イギリス式のミディアムウェルで焼き上げたものでした。 一方、ツネスケさんは、市場の横にある歩道でブリキ板販売店を開きました。とても人通りの多い場所だったこともあり、商売は繁盛しました。当時キッチン用品や居間、トイレには、陶器類や板金、メッキ加工のものがつかわれることが多く、これらは傷みやすく、修理の需要も多かったからです。 そしてカニチさんとマ…

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ニッケイ物語 #10—ニッケイの世代:家族と コミュニティのつながり

Recuerdos de la niñez

Soy un peruano hijo de japoneses, un nisei, nacido antes de la Segunda Guerra Mundial. Soy parte de una generación en curso de desaparición. Vivimos el cambio de ser “japoneses nacidos en el Perú”, para luego de los años, pasar a ser “los peruanos hijos de japoneses”. Tuvimos el privilegio de vivir el gradual proceso de integración a la sociedad mayor, dejando atrás nuestra situación de sujetos “discriminados y discriminantes”, para convertirnos en los “nisei peruanos orgullos de ser lo que somos&rdquo…

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