神田 稔

(かんだ・みのる)

奈良県在住。曾祖父は広島県から1900年にハワイに移住した移民一世、祖母は二世。同志社大学社会学部卒。学生時代に故、中山容(京都精華大学教授)の 下でアジア系アメリカ文学や文化を学ぶ。アジア系アメリカのポピュラー音楽に興味を持つ。Asian Improv aRts/Records (San Francisco, Chicago)の日本通信員をボランティアで務める。アジア系アメリカ文学研究会、マイグレーション研究会他に所属。

(2010年11月 更新)

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Folk Songs Left by the 1970’s Asian American Movement - Part 2

Read Part 1 >>About Some Songs1. TANFORAN (Is anybody there?)(Horikoshi and Takimoto)This song begins with the sound of knocking at the former Tanforan Assembly Center, and narration. Although the center served as a temporary holding facility in San Bruno in the outskirts of San Francisco, it is now disappearing from people’s memories. TANFORAN was a standard song always played in YOKOHAMA, CALIFORNIA’s live performances. Even prior to the commencement of the redress movement, the song uses the word “home” to clearly express what the temporary holding facility wa…

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Folk Songs Left by the 1970’s Asian American Movement - Part 1

Background and Issue Awareness: YOKOHAMA, CALIFORNIA is the title of an LP record released by Asian American musicians in the San Francisco Bay Area and San Jose. Strongly influenced by A Grain of Sand (1973) by Chris Iijima, Nobuko Miyamoto, and Charlie Chin, the music was created in the midst of the Asian American movement. The front jacket photograph, taken in J-Town, San Jose, depicts the atmosphere of those days, with not only the band members but also P.J. Hirabayashi (San Jose Taiko) in the photo. Originally, the trio of Peter Horikoshi, Sam Takimoto, and Michael Okagaki began worki…

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レビュー: Textured Lives: Stories from the Plantations of Hawai‘i (DVD)

去年(2010年)の8月。お盆休み。猛暑にうだる東京で私はこのドキュメンタリー映画を初めて見た。友人の宮田信さん(Music Camp代表)が企画した上映会で、彼がLAから招いたこの映画の制作者で監督のAkira Bochさんの慎み深い解説の後、サトウキビ畑で働く日本人労働者の動画が流れ、主役であるバーバラ・カワカミさんの声が重なる。いい感じの導入部だ。 ところが、次にスクリーンにあらわれた古い写真に私は「あっ!」と声をあげた。その写真には、私の曽祖父が経営し、祖母(一昨年、百歳で死去)が生まれた小売店が写っていたのだ。砂糖工場の下に走るメイン・ストリート沿いの集落。当時、日本人移民たちが「ワイパフ本町」と呼んでいた地区である。画面から目が離せなくなった。 バーバラ・カワカミさんは熊本県生まれでワイパフ育ち。洋裁に興味を持ち、一世の女性たちが身につける着物や洋服に惹かれ、服飾デザイナーを目指す少女だった。学校を卒業後、ハウスメイドの仕事で人種差別を経験した後、バーバラさんは裁縫学校で洋裁を勉強し、地元にドレス・メイキングの店を開く。白人軍人の夫人など、よいお客さんも付き、経営は順調だったようだが、自分には裁縫の技術はあっても学問がないことに気づく。 結婚、出産、子育てを経て、息子さんが本土の大学に進むころにコミュニティー・カレッジに入学。猛勉強の末、ハワイ大学マノア校で…

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レビュー:BIG DRUM - Taiko in the United States (2005)

去年の12月、San Jose Taikoの主要メンバーと京都で会う機会があった。予想通り、とても魅力的な人たちであった。この魅力はどこから来るのか。単なる個人の性格の問題ではない。その魅力は、彼らが、Taikoという楽器の演奏者(Player)であると同時に、Taikoを集団で演奏することにより、自分たち自身のリズムを作り出し、自分たちが楽しみ、そして聴衆をも楽しませる術(すべ)を知っていることから来る魅力なのかもしれない。Taikoを含む打楽器のビートには、人種や民族や世代を越えて、私たちの気持ちを高揚させるなにかがある。 この映画は、米国におけるTaiko音楽を歴史的、文化的視野から記録した秀作である。プロ、アマを含めて100とも200とも言われる米国のTaikoグループは、それぞれの個性を保持しつつ、既に「日系」というエスニシティーを越え、地域を越えて急速に普及発展し、思いも寄らぬ独創性を発揮している。その流れと現在の状況がこのDVDで確認できる。それぞれのグループのリーダーがインタビューに応じているが、どの人も生き生きと話しているのが印象的だ。 70年代から始まる米国でのTaikoの歴史は長くはない。しかし、日本でも、和太鼓を和太鼓だけで独立させ、音楽として演奏し見せることが始まったのは、太平洋戦争の後になってからのことだ。北米だけでなく世界中のTaikoに影響…

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映画評  『アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗』 デズモンド・ナカノ監督作品 2007

単館ながら東京でも上映された作品だが、未見の方もおられると思うので、粗筋から紹介したい。ネタバレの部分もあるかもしれないけれどもご容赦下さい。 ロサンゼルス生まれのライル・ノムラは1世の両親を持つ日系2世。一家ではじめて奨学金を得、サンフランシスコ州立大学へ進学する筈だった。しかし 1941年12月7日を境に、彼の、そして家族の運命はすっかり変わってしまう。他の12万人の日系アメリカ人と同じく、ノムラ一家も告知後10日間で家 や仕事、殆どの財産を手放し、ユタ州のド田舎にあるトパーズ収容所へやってきた。砂埃と塵にまみれた、砂漠の中のバラック小屋生活が始まる。 フェンスに囲まれ常に監視される生活。白人の看守や兵士は聞こえよがしに日本や日本人の悪口を言う。アメリカで生まれ育った日系人の方が多いという のに。中村雅俊演じるライルの父親、カズ・ノムラは幼い頃アメリカへやってきた。はじめはうまく英語をしゃべれず、皆にいじめられた。だが彼は野球に夢中 になり、上達するうちに周りに溶け込めるようになる。独立リーグでベーブ・ルースとも共にプレーしたという設定になっているが、実際に日系人の優れた野球 選手は少なくなかったことは書籍や研究で明らかになっている。そんな経験もあって、カズは収容所の中で野球チームを作ろうと思い立つ。ライルの兄や友達た ちも協力し、やがて若者たちに笑顔が戻る。夜は夜で…

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