加藤 瞳

(かとう・ひとみ)

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。 

(2021年5月 更新)

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インタビュー:切り絵作家 曽我部アキさん ― その2

その1を読む >> 作品作りは「お客さま第一主義」で 制作に当たって大切にしているのは、買い手となる「お客さま」だと強調するアキさんは、いつも感謝を忘れない。ある年、ベルビュー美術館のアート・フェアで、オリジナル作品を注文した女性がいた。やっと子どもが大学を卒業し、生活に余裕ができたので、念願だったアキさんの絵を買うことに決めたと言う。 「本当にうれしかったから、お祝いに、かなりおまけしてあげました(笑)。ありがたいじゃないですか。絵なんて、食べ物と違って、なくてもいいものなんだから。そういう感謝の気持ちで作るの」 人気作家でありながら、その謙虚な姿勢が印象的だ。「作ったあとは、自分の絵を2、3日経ってから見る。そうすると『何これ、ここがおかしいや』っていうのが見つかる。『人前に出せない!』なんて絵は何枚もありますよ。作品は愛しているけれど、うぬぼれない、満足しちゃいけない、という精神でいます」 何枚か絵を作ると必ず壁にぶつかる時期がやって来る。自分の作品を卑下すると、息子に「そんなことはない。これがいいって言うお客さんもいるはずだ」と叱られることも。 「こんな絵でいいのか、全然上達していない、と悩むことはしょっちゅう。でも、夕飯のおかずを作っていても何をしていても、結局は頭のどこかで次の絵のことを考えている。とにかく続けて続けて、次はもっと良いものを作ろう、お客…

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インタビュー:切り絵作家 曽我部アキさん ― その1

美しいマウント・レーニアや、満開の桜の向こうに顔をのぞかせるスペース・ニードルなど、どこか日本を思わせる素朴なタッチでワシントン州の風景を切り取る曽我部アキさんの作品は一度目にしたことがあるのでは。シアトルを代表するアーティストの創作の源はどこにあるのでしょうか。制作の裏側を探ります。  * * * * * いつもアートがそばに 「プロのアーティストなんて、なろうともなれるとも思っていなかった」。そう語るアキさんだが、その半生は常にアートと共にあった。 静岡県に生まれ、富士を望む環境でのびのびと育った子ども時代。活発だったアキさんは男の子ともよく遊んだ。お絵描きも得意で、地元の風景をスケッチしたり、手塚治虫氏による『リボンの騎士』など好きな漫画を読んではまねして描いたりした。当時の様子がよくわかるエピソードがある。「昔、家の襖に、うさぎとカエルが相撲を取っている鳥獣戯画をまねして描いたことがあるの。でも、全然怒られなかったどころか『うまいね、アキちゃん』なんて言われて。すごく面白かったのを覚えています」 やがて就職が決まったのは、アートとは程遠い遺伝学研究所。アキさんは人類遺伝学教授のアシスタントとして働き始めた。そして、ハワイ大学での研究活動に同行した際に現地で出会った日系アメリカ人と、その後結婚することになる。 夫は船舶会社に勤めていた。シンガポール…

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キャバレー・シンガー/ライター、トシ・カプチーノさん

ニューヨークを拠点に、ひとり舞台のキャバレーショー公演を世界各地で行うトシ・カプチーノさん。ゲイであることを公表し、2014年には日本人として初めてニューヨーク州で同性婚を果たしました。「今がいちばん充実している」というトシさんに、その波乱万丈の半生と、人生を豊かにする秘訣を聞きました。 * * * * * いつも隠してビクビクしていた 小さな頃からずっと歌手になりたかった。僕は「スター誕生」出身なんです。福岡県大会で優勝しましたが、残念ながら決勝大会でプラカードは上がらなくて。諦められずに上京して、新宿、横浜、それから横須賀や厚木の米軍基地なんかでも歌っていました。1980年代のことです。 当時、自分がゲイであることが自分の中でネックだった。カミングアウトは御法度で、バレちゃうと生きていけないような社会でしたから。舞台では、自分を丸裸にして全てを見せないとお客さんは納得してくれない。それなのに僕はいつも自分を隠してビクビクしていた。「こんなんじゃダメだ」と思って歌を辞めたんです。 実は僕、そのあとは男の人に囲われていました。日欧を行き来するようなファッションデザイナーで、衣食住を大切にし、美しく生きる人。田舎で育った僕は、彼からそういった感性を含め、いろんなことを学びました。 天から落ちてきたニューヨーク行きの切符 その彼に捨てられ、貧乏生活に戻ってしまったのが、…

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インタビュー: シンガーソングライター エミ・マイヤーさん — その2

その1を読む >> ボランティア・パークでのライブ 今回のシアトル公演は、直前にシアトル入りすることになっていた。「どういう風にバンドメンバーを組めば良いか、かなり悩みました。日本から連れて来る予算もないし、どうすればシアトルに溶け込めるライブができるのかなと」。シアトルで活動するジャズ・ミュージシャンがベストだと思い付いたエミさんは、普段からピアノを習っていて、よく相談しているビル・アンシェルさんに、出演するミュージシャンを選んでもらった。偶然にも、メンバーはみんな、シアトル生まれのシアトル育ち。「今回のイベントには本当に良かった。ビルさんはとてもマメな人で、私が来る前にバンドメンバーとリハーサルして、曲をさらってくれて。その音源を日本に送ってくれたので、私もそれを聴きながら調整できたんです。ミュージシャンは、そういう事務的な作業ができる人とできない人がいますが、彼はそれがすごく得意な人」 エミさんがメンバー選びの際、大事にしているのは、ライブ経験と性格の相性。日本のバンドを引き連れて行くというより、地元ミュージシャンとライブを作り上げるほうを好む。「言語のギャップがあると、うまくステージからコミュニケーションが取れないことがあります。たとえば、韓国でのライブで韓国語を話せるミュージシャンがいたら、私のMCを通訳してもらえれば、お客さんとの距離感がぐっと近くなる」。基…

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インタビュー: シンガーソングライター エミ・マイヤーさん — その1

シンガーソングライターのエミ・マイヤーさんは、京都生まれ、シアトル育ち。デビュー10周年を迎えた今年(2019年)は、7月にシアトルで約7年ぶりとなる凱旋公演を行いました。妊娠、出産を経てカムバックしたエミさんに、これまでのこと、これからのことをじっくり語ってもらいました。 * * * * * シアトルで過ごした日々 エミさんが生まれたのは、ワシントン大学大学院で美術史研究をしていた母親が、1年だけのフルブライト奨学金プログラムで京都に滞在していた時のことだ。「だから、シアトルには本当に生まれてすぐ帰って来たんです。最初はバラードに住んでいて、バラード・ロックスがすごく好きだったのを覚えています。散歩をして、公園で土遊びをしたり草で遊んだり。そんなバラードでの自然との思い出が、シアトルでの最初の記憶ですね」 シアトル・アジア美術館に勤める父親の影響で、絵を描くことも好きだったというエミさん。家族3人での旅行ではいつも、父親と同じテーマで一緒に絵を描いていた。「クリスマスや正月は日本で過ごし、スペインやイタリアにも行きました。10歳頃の私の絵って最高なんですよ。自由で、描き方とか全然気にしてない。子どもってすごいなあって感心します。シアトルでは、いろんなアート・クラスを受講しました。完全に趣味だからプレッシャーもなく、思いのまま楽しんでいました」 ピアノを習い始めたの…

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