川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第19回 瀬戸内の日本ハワイ移民資料館

大小約700もの島が点在する瀬戸内海で、山口県南東部に位置する周防大島(正式には屋代島)は3番目に大きな島だが、ここに日本ハワイ移民資料館(Museum of Japanese Emigration to Hawaii)がある。観光的には「瀬戸内のハワイ」とも呼ばれる島の資料館とはどんなものなのか、なぜここに資料館ができたのか、中国地方への旅の途中で訪ねてみた。 資料館は成功者の家 国道188号から車で大島大橋を渡り島に入り、海岸沿いをしばらくすすんでから内陸に入ると案内が出ている。これを頼りにさらに長閑な田園地帯の細い道を右に左に行くと、ようやく木造二階建ての資料館にたどり着く。  どうして、こうした入り組んだところにあるのかというと、この資料館は、もとは明治時代にこの島からアメリカに渡って成功した福元長右衛門という人が、1924(大正13)年に帰国したのちに建築した住居で、それをそのまま利用したためこの場所となったのだった。いまの金額に換算すれば推定およそ3億円をかけたとされる建物は、伝統的な日本家屋に洋式の意匠を取り入れた和洋折衷の趣がある。 周防大島からは明治時代に島をあげて多くの人がハワイへ移民、その歴史を後世に残しておくため、1999年、地元周防大島町(山口県周防大島郡)によって開館したのがこの資料館だ。 日本のアメリカ、ハワイへの移民の歴史を踏まえて、…

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第18回 世界の沖縄人が集うウチナーンチュ大会

沖縄の個性の象徴 沖縄にルーツをもつ世界各地の人たちが、一堂に会した「第7回世界のウチナーンチュ大会」(同実行委員会主催)が、10月30日から11月3日まで那覇市を中心に沖縄各地で開かれ、日本のなかで「世界とつながる沖縄」の独自性が見事に表わされた。 「ウチナーンチュ」とは、沖縄の言葉で「沖縄の人」を意味する。つまり世界に散らばった沖縄県人が、その母国ならぬ母県に集い、沖縄の人と交流を深め、沖縄を軸としたネットワーク=ウチナーネットワークを維持、発展させようというのがこの大会だ。 実行委員会は、県をはじめ経済、金融、マスコミ、国際交流、文化などの民間団体からなり、沖縄県をあげての一大イベントでもある。 広島、熊本などと同様に沖縄は多くの移民を輩出した県として知られる。その歴史は1900年のハワイへの移民からはじまり、以後戦前・戦後を通して北米、南米などへ渡る人々はつづいた。今では、海外で暮らす沖縄からの移民やその子孫(沖縄県系人)は、約42万人とみられる(平成28年度推計値、沖縄県交流推進課)。 その内訳は、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビアなど南米全体で約25万人、アメリカなど北米で約10万人で、そのほかヨーロッパ、中国、オーストラリアなど世界各地に広がっている。しかし、移民を多く輩出しているほかの県でも、調査をしてみれば同様にかなりの数の「県系人」が世界に…

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第17回 中国残留孤児、3世はルーツへの困惑

日本と中国の国交が結ばれたのが1972年。いわゆる日中国交正常化から今年の9月で50年を迎え、国交正常化によって日本への帰国の扉が開いた「中国残留孤児」についての特集が報道されている。 中国残留孤児については、国による調査や帰国援助、また帰国後の生活支援が長年すすめられてきたが、改めて、中国残留孤児とその家族の歴史を振り返ると、日本と中国との狭間で生きてきた人たちが抱えてきたアイデンティティーの問題が浮かびあがる。そこには、アメリカや南米などの日系人の抱えた問題との類似性がみられる。 太平洋戦争が終ったとき、当時の満州(現在の中国東北部)には開拓団などとして多くの日本人が暮らしていたが、ソ連の対日参戦によって、さまざまな事情によって親と離別(死別)するなどして中国に取り残され、その後中国人に育てられた日本人孤児がいた。一般に中国残留孤児と呼ばれた人たちだ。 日中国交正常化により、こうした中国残留孤児の身元調査と日本への帰国を希望する人への支援事業がはじまり、これまで身元が明らかになった6700人余りが日本へ永住帰国した。家族を含めるとその数は2万人以上にのぼる。 幼いころに親元を離れ中国人に育てられた人たちには、親の手がかかりとなるものは少なく、また日本語を話すことはできず、身元の確認は難航することが多かった。ようやく身元が明らかになっても、すでに両親は他界してることもあ…

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第16回 移民を運んだ船の物語「船にみる日本人移民史」から

今日のように海外への渡航が飛行機によるものだった時代と異なり、かつては、島国である日本から海外へとなれば船便に頼るのが当たり前だった。北米・南米などへ移住する人たちも船で長い時間をかけてようやく異国にたどり着いた。 横浜、神戸から大型の客船に乗り込んだ人は数知れない。こうした移民を乗せた船については、横浜の港に近い日本郵船歴史博物館に行くと、当時の様子などがわかる資料があるが、移民船というテーマにしぼってまとめて紹介された書籍はあまりみあたらない。おそらく、「船にみる日本人移民史 笠戸丸からクルーズ客船へ」(山田廸生著、中公新書、1998年)くらいではないだろうか。 「日本移民学会」があるように、移民についてはさまざまな角度から研究されているが、本書の著者、山田廸生は、移民研究者ではなく、日本海事史学会という「船舶・航海・水運・水産に関する人文・技術の史的研究」を行う学会に所属する専門家である。 山田は、あとがきのなかで、移民船の歴史に取り組もうとしたところ、関係する史書のなかに、移民船についての記述が非常に少ないことに気づき、また、新天地への架け橋ともなる移民船についての関心が移民史のうえで希薄なのはなんとも解せないと感じた。 しかし、その理由について『蒼茫』を読んでわかったような気がしたという。『蒼茫』は、ブラジルへの移民を描いた石川達三が書いた小説で3部作からな…

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第15回 一世への挽歌 — 野本一平を読む

いつだったか、ロサンゼルスのリトルトーキョーで日本人の経営するジャズバーにふらりとひとりで入ったとき、常連らしき現地の日本人と話す機会があった。長年現地で暮らすその人は、旅の途中の私に現地の日本人のことをあれこれ教えてくれた中で、「いろいろ事情があって、日本にいられなくなりこちらに来た人もいますよ」と、言った。 先日、1990年に出版された野本一平著の「亜米利加日系畸人伝」(彌生書房)を読んでこの人の言葉を思い出した。バーでの話にあがった日本人からはずっと時代を遡ることになるが、同書に登場する、日本からアメリカに渡った一世の人生をたどると、「なるほどいろいろ事情があってのことだったんだ」と、しみじみ感じたからだ。 野本一平の名前は知っていたが、著作を読むのは今回が初めてだった。自然体で穏やかで、理知的な文章は、その人となりが想像できるが、彼に対する人物評を読むと果たしてその通りで、「文は人なり」を地でいっていた人のようである。 カリフォルニア在住で、現地の邦人紙「羅府新報」に寄稿していた氏は、2021年2月27日、88歳で生涯を閉じた。訃報の際の追悼の記事と本書の奥付のプロフィールから、氏の足跡を以下まとめてみる。 野本一平(本名・乗元恵三)氏は、1932(昭和7)年、岩手県前沢町(現・奥州市)の寺に生まれ、京都の龍谷大学文学部を卒業。武蔵野女子学院教諭を経て、196…

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