ティム・アサメン

(Tim Asamen)

インペリアルバレー開拓者博物館の常設ギャラリー、日系アメリカ人ギャラリーのコーディネーター。祖父母は、現在ティムが暮らすカリフォルニア州ウェストモーランドに鹿児島県上伊集院村から1919年に移住してきた。1994年、ティムは鹿児島ヘリテージ・クラブに入会し、会長(1999-2002)と会報誌編集者(2001-2011)を務めた。

(2013年8月 更新)

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インペリアルバレーでの楽しい冬季休暇

コクブン教会のクリスマス インペリアルバレーの南端出身の日系二世に子供の頃のクリスマス体験について聞けば、誰もがコクブン牧師の教会での楽しい思い出を語ってくれるだろう。ジンゴロウ・コクブン氏は、無宗派の2つのキリスト教教会の牧師で、1920年にカレクシコ独立教会とエル・セントロのユニオン教会を創立した。 コクブン牧師は日本の東北地方の出身で、福島県で生まれた。中学卒業後、友人にキリスト教を紹介され、地元の川で洗礼を受けた。東京の聖学院神学校を卒業後、宮城県仙台市に牧師として赴任し、1908年に米国に移住した。その12年後、彼は妻のイソと共にインペリアルバレーのカレクシコの教会の隣にある、質素な日干しれんが造りの牧師館に居を構えた。 ベン・E・ワトソン氏は、発行日不詳の冊子『Japanese Christian Churches(日系人教会)』で、コクブン師の教会が南カリフォルニアでの宣教活動を大きく発展させたと称賛している。コクブン師は日系人の家庭からだけでなく、白人コミュニティからも大変敬われていた。羅府新報記者のシロウ・フジオカ氏によると、身長約155センチのコクブン牧師は、白人の友人たちから“小さな英雄”という愛称で呼ばれていた。 毎週日曜の午前、カレクシコでは礼拝と日曜学校が行われていた。その後、コクブン家は総出で車に乗り込み、12マイ…

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Nikkei and the Way of the Warrior: Samurai Heritage from Issei to Yonsei

During my college days I once wrote an essay on the three ideals that I thought best epitomized the samurai: giri (duty), on (obligation), and chū (loyalty). It is no coincidence that a few years later as the coordinator of a Japanese American exhibition in the Imperial Valley Pioneers Museum, I had a hanging scroll custom made with the ideals that I thought best epitomized the Nikkei experience: giri, on, and gaman (perseverance). I very easily could have added loyalty to the scroll and gaman to my essay, but groupings of four are considered unlucky! When I spoke to my professor o…

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Samurai Armor in the Imperial Valley Pioneers Museum

Were there samurai in the Imperial Valley? The answer is yes, but that’s not why a suit of samurai armor is on display in the Imperial Valley Pioneers Museum. For those of you who have not been to the Pioneers Museum in Imperial, California, it is one of the few multi-ethnic museums in the country. Multi-ethnic themes are not uncommon, but typically museums will host one ethnic exhibition at a time, and then rotate different ones in and out.  The Pioneers Museum, on the other hand, has fifteen different ethnic exhibitions—called galleries—on permanent display. The…

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FBI Searches and Arrests: Imperial Valley, 1941–1942

Thirteen-year-old Tatsuo Asamen did not yet have a driver’s license but he nonetheless drove an old farm truck each evening to the corner of a field located about two miles west of his home. Waiting for him amongst a clump of tall arrowweed brush was his father, Zentaro Asamen. The Westmorland farmer had set up a cot for himself there and the boy had his dinner. Following the outbreak of war between the United States and Japan, the elder Asamen noticed that his cronies were beginning to disappear. They were being taken by agents of the Federal Bureau of Investigation (FBI), typically i…

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ニッケイ物語 5—ニッケイ語:家族、コミュニティ、文化の言葉

祖母の日本語訛りを捉える―ニッケイ語を見つけるための私の初めの一歩

私は、カリフォルニア州南東部の角に位置するインペリアル・バレーの農場に住んでいます。第二次世界大戦が始まる前、一世の祖父母がこの農場を立ち上げました。数千人の日系移民が不毛な砂漠地帯を肥沃な農地に変えた時代でした。私が子どもの頃は祖母もこの農場内にある、祖父母が1930年に建てた家に住んでいました。私は、まだトイレと風呂がその家になかった頃のことを覚えています。我々がベンジョと呼んでいたトイレとフロバは屋外にありました。私の両親は結婚後、あらゆる近代的設備が整った家を建てました。祖母の家に集まる時は、お客さん(特に都会の人)は風呂やトイレを使うのに私の家まで歩かなければなりませんでした。その家に浴室を作った後も、祖母は(屋外の)フロバで入浴すると言い張り、新品のバスタブもシャワーも、完全に無視しました。 私の祖母は、人並み外れた農婦でした。150センチにも届かない程の身長でしたが、ほとんどの男性より身体的に強靭で、よく働きました。祖母と私が円滑にコミュニケーションをとれることはほとんどありませんでしたが、私たちはとても仲良しでした。祖母はあまり英語が話せませんでしたし、私も日本語はほとんどできませんでした。戦前は7つの“ニホン・ガッコウ”(地元の二世がこう呼んでいました)がありましたが、私たちの時代にインペリアル・バレーで通うことのできる日本語学校は…

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