渡邉 朔

(わたなべ・はじめ)

北米報知元インターン記者。ワシントン大学留学時、ミネドカの旅に奨学生として参加しプログラム運営に携わる。その傍ら取材を行い、出来る だけ幅広い世代・境遇の旅参加者からの声や思いの聞き取りを心がけた。現在早稲田大学文化構想学部に所属。

(2013年10月 更新) 

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受け継がれる日系魂 ~シアトルの試み~

第4回 キモチを双肩に担うミネドカの旅(後編)

前編を読む >> 季節外れの肌寒い風が吹きすさぶ早朝、ミネドカの旅参加者約200人が収容所跡地の入り口に降り立つ。近くには当時の敷石が残る「ビクトリーガーデン」、すぐ横に収容所から米軍に志願した日系人兵士を顕彰する「Honor Roll(栄誉名簿)」が見える。2011年に当時の作りを再現したものだ。国立公園職員のアンナ・タムラさんが翻る星条旗を指さし、「ここは愛国心という意味で非常に象徴的な場所です」と紹介した。 友達、食事、開拓――それぞれのミネドカ 「(収容所の周りは)いつも埃っぽい風が吹いて、地面は泥深くぬかるんでいました」 日本人バプテスト教会のブルックス・アンドリュース牧師が当時を振り返る。同教会の牧師だった父エメリーさんは、日系人に寄り添い収容所近くのツインフォールに移住。ミネドカ収容所で引き続き牧師として務めた。「あの時、父について(ミネドカ収容所に)通った私は、幼くてただ友達に会うのが楽しみで、収容所の不正義に気付いていませんでした」 食堂施設として使っていたという長屋のバラックには、施設内には長机を囲んでソーセージをほおばる子供たちの写真が飾られていた。 今年米寿の祝いだというボブ・ワタナベさんが懐かしそうにほほ笑む。「あるとき夕食で大きな牛タンを食べたのを覚えています。とても固かったですが」 タカコ・コギタさんは、「調味料のバラエティが乏しくて…

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受け継がれる日系魂 ~シアトルの試み~

第3回 キモチを双肩に担うミネドカの旅(前編)

日系人たちの記憶を如何に次世代へ継承するか――。 一世の声を聴くことが不可能に近い今、第二次世界大戦の収容経験を持つ二世たちも高齢を迎え、問題は年々、切実なものとなっている。今年で11年目を迎えたアイダホ州ハントにあるミネドカ日系人収容所跡地への旅では、一世、二世の経験を含め、将来へ語り継ぐべき「キモチ(kimochi)」に焦点があてられた。 「近い将来には二世も三世も表舞台から去り、歴史を語り継ぐことは難しくなります。四世、五世といった若い世代には、我々の『キモチ』をその双肩に背負う覚悟がありますか?」 ミニドカの旅実行委員会の会議でマコ・ナカガワさんは語る。 「『二度とないように』を口で唱えるだけでは意味がありません、実際に行動を起こしましょう。とりわけ9・11以降のアラブ系米国人に対する差別はかつての日系人に対するそれに等しいです。歴史は繰り返すのです」 シアトル出身の二世で戦時中はミネドカ収容所で暮らした。語り部を担うひとりとして、将来へ警鐘を鳴らす。 日系人が使う「キモチ」は、いわゆる日本語の「気持ち」とは違う。当地非営利団体「日系コンサーンズ」のキーワードにも用いられるが、言葉の裏に特別な力が込められている。経験や思いを引き継ぎ、語り継いでいく意図を強く感じる。 今年のミネドカの旅は200人以上が参加した。若い日系学生を含め7名が奨学金を受けプログラ…

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