identity ja
日本と中国の国交が結ばれたのが1972年。いわゆる日中国交正常化から今年の9月で50年を迎え、国交正常化によって日本への帰国の扉が開いた「中国残留孤…
community ja pt
ユゴが4歳のとき、両親は別れ、母のエネイダは一人で生まれ育ったポルト・セグロに戻った。 ユゴの父親は、このような別れ方をするだろうと思っていたから…
migration ja
祖父の足跡を訪ねて 母と祖母の満州からの引き揚げから40年以上が経過した、今から34年前の1988年、私はかねてから温めていた計画を実行に移した。…
終戦、そして新京へ 恵美子の父親の進が戦地に赴いたのは、昭和20年の5月だった。「父は目が悪かったせいで、召集されたのも最後の頃、しかも兵隊として…
「残留孤児だったかもしれない」 私が高校生の時、中国残留孤児と呼ばれる人々が来日し、記者会見を開いた。彼らは日本のどこかで暮らしているかもしれない…
media ja
第3回を読む >> 日系アメリカ人クーリエ放送 『ジャパニーズ・アメリカン・クーリエ』紙(Japanese American Courier…
culture en ja
その2を読む >> ルポルタージュか芸術か 若次は、個人のポートレート、パレードや文化行事などの記録写真のほか、結婚式、クラブでの式典、卒業式な…
identity en ja es pt
2022年5月にメキシコのサンルイス・ポトシ市で開催された第15回日系人大会で、私たちが持つ「日系アイデンティティー」に関する概念を見直すため、…
第2回を読む >> 三輪堂 1931年1月時点でKFQW局では隔週木曜日に中村時計店の「日本音曲放送」(第2期)が行われていたが、この番組のない…
その1を読む >> 妻のテエが農業経営を管理してくれていたので、若次は自分の可能性を追求し、最初は通信教育で写真を学んだ。若次の家に伝えられて…
12月3日 午後3時(PST)
多言語イベント!(英西葡語のみ)
事前登録要。詳細はこちら>>
「いただきます3!」への投稿作品を読む >>
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