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第1回を読む>> 中村時計店の日本音曲放送 北米各地をみても、1920年代の定期的な日系ラジオ番組というのはほとんど存在しないなかで、1928年…
日系音楽家の活躍 日本語番組が始まる前には、アメリカのラジオ放送に出演して活躍する日本人音楽家がいた。早いものでは、1922年3月にサンカルロ…
北京放送やモスクワ放送から中南米諸国のラジオ放送へ 遡ること40年以上前、日本の深夜放送が終了した後、朝方近くに「北京放送」という日本語のラジ…
日本語テレビ番組を紹介 私が初めてフリーランスのライターとして活動を開始したのは2003年、原稿を書かせてもらった雑誌の名前は『TV FAN』だ。…
参加型の媒体 これまで本シリーズでは、全米各地で発行されている新聞や雑誌など紙媒体の編集責任者に取材してきた。しかし、インターネット社…
その1を読む >> ポルトガル語新聞の市場を切り開いてきた二世社長 ブラジル国内という市場に注目した場合、新聞が生き残るにはポルトガル語紙面をど…
「ニッケイ新聞」の2021年11月18日号2面において、高木ラウル社長が「12月18日号をもって廃刊する」と公表した。残念なことだが、あと1カ月で本…
ドジャース野茂旋風が転機に 私がロサンゼルスで暮らし始めた1992年当時、日本語新聞『日刊サン』は有料だった。その後、無料紙になったこと、さら…
英語と日本語の両輪 1903年に創刊された『羅府新報』は今も週に4日、有料紙として発行されている(パンデミック中は週に3日発行)。…
地元日系組織との連携 ダラスで発行されている無料の日本語新聞『いろは』の名前を聞くことは度々あった。しかし、カリフォルニア在住の筆者にとっては…
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