war ja
第四章(3)を読む >> 子どもの日常———夏 高校生ぐらいになると、野球、バスケットボール、ダンスパーテ…
第三章(1)を読む>>収容所内新聞から見るコミュニティ図書館 各収容所では当初ガリ版刷で新聞が発行され、WRAからの通達からコミュニティ・ニュースま…
わたしの伯母(母の姉)は、現在90歳近くになるが、広島での原子爆弾体験を約20年前まで、語らなかった。わたしの母の家族は、戦争当時は、広島市に近い呉…
culture ja
その7>>4.『ポストン文藝』の特色と果たした役割『ポストン文藝』の第一の特色は、特定の集団ではなく一般の収容者を対象とした総合雑誌であったこと。内…
その6>>『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスタ…
その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。 詩の分野では第一に外川明…
その4>>木内春波(貞勝)の「おもかげ」(45年7、8月号)は、初恋に破れて転落の人生を送った男が老人となって収容所の病院で死の床に横たわるとき、優…
その3>>発行部数を完全に把握することはできないが、44年7月号が600部、1年後の45年7月号が1,000部という記録がある。多くの熱心な読者をも…
その2>>2.『ポストン文藝』の創刊と目的ポストンで最初に文学活動を開始したのは「ポストン歌会」で、1942年9月に第1回歌会が開かれたという記録が…
その1>>しかし収容者は協力してこの不毛の地を次第に人の住まいらしく変えていった。 まず人びとがしたことは、砂塵を防ぐための植樹であった。砂漠に生え…
ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!
サポートの方法 »